壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

とらの年

2010年01月04日 22時59分01秒 | Weblog
        四日はや身を荒使ふ医にもどる     下村ひろし

 官公庁や銀行など、きょう四日から仕事始め(官公庁は御用始め)。多くの会社や医院なども、この日から一年の仕事が始まる。また、僧侶などの回礼も、この日からおこなわれる昔からのしきたりがある。

 サンデー毎日の身には、仕事始めはない。あえて言えば、七日からの「外国人のための日本語教室」が、仕事始め。
 今日はまったく予定がないので、午後から散歩?
 都バス、地下鉄などを乗り継いで、上野・御徒町(おかちまち)・新宿・浅草を歩いてみたが、とりたててコレというものはなかった。ただ、不景気ということだけは、ひしひしと感じられた。

        霞さへまだらにたつやとらの年     貞 徳

 霞は雅語として、すでに和歌の世界で一般化され、俳諧においてもよく扱われた題材であるが、この句ほどおおらかに詠まれたものは少なかろう。
 無心な子どもが、ふと口をついて出たようなおさなさが感じられる。だが、それは室町期宗鑑の「にがにがしいつまであらしふきのたう」の句にも通じるものであり、同じ貞徳の
        しほるるは何かあんずの花の色
 とも等しい境地であろう。
 寅年から霞がまだらに立つなど、言語遊戯にすぎぬと一笑するのは、近代人の感覚で、この句は初期貞門俳諧のおおらかな句ぶりを、よくあらわしているといってよい。

 「まだら」と「とら」は縁語。
 「たつ」は、“霞が立つ”と“年が立つ”と言い掛けている。「アルミ缶の上にあるミカン」のようなダジャレとは違う。
 季語は「霞」で春。寛永三年(1626)寅年新春の作。

    「寅の年の新年は、霞さえ、虎の紋のようにまだらに立つことだ」


      巣鴨行きバスとろとろと四日かな     季 己