四日はや身を荒使ふ医にもどる 下村ひろし
官公庁や銀行など、きょう四日から仕事始め(官公庁は御用始め)。多くの会社や医院なども、この日から一年の仕事が始まる。また、僧侶などの回礼も、この日からおこなわれる昔からのしきたりがある。
サンデー毎日の身には、仕事始めはない。あえて言えば、七日からの「外国人のための日本語教室」が、仕事始め。
今日はまったく予定がないので、午後から散歩?
都バス、地下鉄などを乗り継いで、上野・御徒町(おかちまち)・新宿・浅草を歩いてみたが、とりたててコレというものはなかった。ただ、不景気ということだけは、ひしひしと感じられた。
霞さへまだらにたつやとらの年 貞 徳
霞は雅語として、すでに和歌の世界で一般化され、俳諧においてもよく扱われた題材であるが、この句ほどおおらかに詠まれたものは少なかろう。
無心な子どもが、ふと口をついて出たようなおさなさが感じられる。だが、それは室町期宗鑑の「にがにがしいつまであらしふきのたう」の句にも通じるものであり、同じ貞徳の
しほるるは何かあんずの花の色
とも等しい境地であろう。
寅年から霞がまだらに立つなど、言語遊戯にすぎぬと一笑するのは、近代人の感覚で、この句は初期貞門俳諧のおおらかな句ぶりを、よくあらわしているといってよい。
「まだら」と「とら」は縁語。
「たつ」は、“霞が立つ”と“年が立つ”と言い掛けている。「アルミ缶の上にあるミカン」のようなダジャレとは違う。
季語は「霞」で春。寛永三年(1626)寅年新春の作。
「寅の年の新年は、霞さえ、虎の紋のようにまだらに立つことだ」
巣鴨行きバスとろとろと四日かな 季 己
官公庁や銀行など、きょう四日から仕事始め(官公庁は御用始め)。多くの会社や医院なども、この日から一年の仕事が始まる。また、僧侶などの回礼も、この日からおこなわれる昔からのしきたりがある。
サンデー毎日の身には、仕事始めはない。あえて言えば、七日からの「外国人のための日本語教室」が、仕事始め。
今日はまったく予定がないので、午後から散歩?
都バス、地下鉄などを乗り継いで、上野・御徒町(おかちまち)・新宿・浅草を歩いてみたが、とりたててコレというものはなかった。ただ、不景気ということだけは、ひしひしと感じられた。
霞さへまだらにたつやとらの年 貞 徳
霞は雅語として、すでに和歌の世界で一般化され、俳諧においてもよく扱われた題材であるが、この句ほどおおらかに詠まれたものは少なかろう。
無心な子どもが、ふと口をついて出たようなおさなさが感じられる。だが、それは室町期宗鑑の「にがにがしいつまであらしふきのたう」の句にも通じるものであり、同じ貞徳の
しほるるは何かあんずの花の色
とも等しい境地であろう。
寅年から霞がまだらに立つなど、言語遊戯にすぎぬと一笑するのは、近代人の感覚で、この句は初期貞門俳諧のおおらかな句ぶりを、よくあらわしているといってよい。
「まだら」と「とら」は縁語。
「たつ」は、“霞が立つ”と“年が立つ”と言い掛けている。「アルミ缶の上にあるミカン」のようなダジャレとは違う。
季語は「霞」で春。寛永三年(1626)寅年新春の作。
「寅の年の新年は、霞さえ、虎の紋のようにまだらに立つことだ」
巣鴨行きバスとろとろと四日かな 季 己