壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

水仙花

2010年01月21日 21時28分49秒 | Weblog
        其の匂ひ桃より白し水仙花     芭 蕉

 『笈日記』の前書きに、「新城(しんしろ)に白雪という男がいて、風雅をたしなむ息子が二人いた。二人ともたいそう賢かった。芭蕉翁もその少年の才を見抜き、この二人に桃先、桃後という俳号を与えた。新城はむかし、芭蕉翁が逍遥した地である」とある。
 白雪の二人の子の才をほめるのに、水仙の花の風韻高きをもってし、それにちなむ俳号を贈った際の句で、技巧的な発想であるために、句の純一化を妨げているところがある。

 「匂ひ」は、古く、視覚的な美を意味したことばで、ここもそう解すれば、下の「白し」との関連も自然になる。ここでは、そのように解しておくが、水仙の清らかな香りをさしたものととる説も捨てがたい。
 「白し」は、上の「匂ひ」を香りととった場合には、「海暮れて鴨の声ほのかに白し」、「石山の石より白し秋の風」などとも対比される用い方で、臭覚を視覚的に表現し、香りの清らかさをいったものと解される。もしかすると、亭主白雪の「白」をきかせているかもしれない。

 白雪は、通称、太田(大田)金左右衛門長孝。升屋といった新城の庄屋。元禄四年以前の芭蕉との関係は明らかでないが、以後、蕉門俳人らと広く交遊している。
 長男重英・次男孝知も俳人で、このとき芭蕉からそれぞれ桃先・桃後の号を与えられた。桃先・桃後は、支考によれば、水仙花の異名にちなんだものというが、その異名の桃先・桃後は、顔潜庵の水仙を詠じた詩に、「翠袖黄冠玉作神、桃前梅後独迎春」とあるのによるもので、いささか記憶の誤りもあったものかという。
 桃青の一字をを与える気持もあったのではないか、という気がする。

 「桃」は春だが、ここでは「水仙」が季語としてはたらき冬。

    「水仙が香り高く咲いている。その気品ある純白さは、桃などよりもずっとすぐれている
     ようである」
 (それ故に、「その水仙にもたとえるべきこの家の二人の息子に、水仙の異名にちなんで、わたしは桃先・桃後の号を贈ろう」というこころが含められている)


      房総の海の若さよ野水仙     季 己