雪おれやむかしに帰る笠の骨 松 意
「雪おれ」は、正しくは「雪をれ(折)」。降り積もった雪の重さで、木や竹などが折れること。冬の季語である。
「むかし」は、笠の骨になっている竹が、まだ竹藪に生えていたころを指す。
「雪が降る中、笠をかぶってゆくと、笠に雪が積もってくる。それは、昔
まだ竹藪に生えていたころ、雪折れ竹であったときの雪と竹との関係に
戻るのである」
竹といわずに竹を思いつかせるところが、作者の得意とするところである。このように句の表面にあらわに示さず、謎めいた余意でそれと暗示させる句作りの手法は、「ぬけ」・「ぬき」などといわれる。
「ぬけ」は、和歌や漢詩でも謎の一体として行なわれたもので、俳諧では、貞門は嫌ってさけたが、談林は盛んに用いた。
松意は、自身の俳諧書『夢助(ゆめすけ)』の中で、付句のぬき体を力説するが、発句のそれには否定的な見解を示している。なお、「ぬけ」には、心のぬけと詞のぬけとがあるが、この句の場合は後者のケース。松意の名を高からしめた『談林十百韻(だんりんとっぴゃくいん)』巻十の百韻の発句である。
盛塩を置いて寒暮の小あきなひ 季 己
「雪おれ」は、正しくは「雪をれ(折)」。降り積もった雪の重さで、木や竹などが折れること。冬の季語である。
「むかし」は、笠の骨になっている竹が、まだ竹藪に生えていたころを指す。
「雪が降る中、笠をかぶってゆくと、笠に雪が積もってくる。それは、昔
まだ竹藪に生えていたころ、雪折れ竹であったときの雪と竹との関係に
戻るのである」
竹といわずに竹を思いつかせるところが、作者の得意とするところである。このように句の表面にあらわに示さず、謎めいた余意でそれと暗示させる句作りの手法は、「ぬけ」・「ぬき」などといわれる。
「ぬけ」は、和歌や漢詩でも謎の一体として行なわれたもので、俳諧では、貞門は嫌ってさけたが、談林は盛んに用いた。
松意は、自身の俳諧書『夢助(ゆめすけ)』の中で、付句のぬき体を力説するが、発句のそれには否定的な見解を示している。なお、「ぬけ」には、心のぬけと詞のぬけとがあるが、この句の場合は後者のケース。松意の名を高からしめた『談林十百韻(だんりんとっぴゃくいん)』巻十の百韻の発句である。
盛塩を置いて寒暮の小あきなひ 季 己