壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

一生に一度

2010年01月18日 11時05分00秒 | Weblog
 一生に一度の貴重な体験をさせていただいた。東京銀座「画廊宮坂」での『虫干し展』のことである。

 箱入り娘のまま、長年積んでおいた作品の点検が目的なので、『虫干し展』としたのだが、冬に“虫干し”とは変だ。また、『虫干し展』というと、画廊の在庫作品の虫干しということで、佳い作品が格安で入手できるチャンスと期待してしまう。来てみたら、本当に一個人の作品の虫干しで、それならそうと書いておけよ、と思われた方もおられたに違いない。(心よりお詫び申し上げます)

 「俳句はつぶやき」を標榜する変人としては、大上段に振りかぶった作品よりも、心にしみいる作品が好きなので、そのような作品を購入してきたつもりである。
 もちろん、このことは「画廊宮坂」の宮坂祐次さんとの“出会い”以後のことで、それ以前のものは授業料だと思っている。
 人と人との出会い、人と物との出合い。この“出会い”によって、人生はさまざまに変化することを、しみじみ感じた五日間であった。
 また、何ごとも「道は一つ」ということも、あらためて確信できた。絵画も俳句も、〈つくった作品〉はイヤらしく、〈さずかった作品〉は人をあたたかく包みこむ。授(さず)かるためには、己を磨かねばならない。等々いろいろ考えさせられた得難い「虫干し展」であった。

 損得だけしか考えない画商に出会った作家は、不幸だと思う。もっとも、ご本人は、己を磨くことなく、画商の指示にしたがって描きさえすれば、大金と名声が転がり込んでくると思っているだろうが……。
 さらに不幸なのは、そういう作品を舌先三寸の口車に乗って、買わされてしまう人だ。これも出会いの悲劇の一つである。

 あとあと後悔しない作品が欲しいなら、「画廊宮坂」へ通うことだ。お茶を出されても買う必要はない。お茶をいただきながら、じっくりと作品を観ればいい。“見る”ではなく“観る”ことが大切だと思う。
 そうしてある日、気に入った作品と出合ったとしても、即決しないこと。もう一度、日を改めて出かけ、それでもやはり欲しいのであれば、ぜひ購入していただきたい。こうして手に入れた作品は“ご縁”のある作品なのだから。“ご縁”のある作品は、必ず作品の方で待っていてくれる。反対に、“ご縁”のない作品はその間に、ご縁のある他の人のところへ行ってしまうのが、「画廊宮坂」の不思議なところ。
 ちなみに、初めて入った画廊でお茶を出してくれたのは、「画廊宮坂」とH画廊(今はない)の二軒だけであった。他の画廊は「いらっしゃいませ」の一言だけで、帰り際こちらが「ありがとうございました」と言っても、無視?されるのがほとんどであった。

 ご来場くださった皆様に深く深く感謝申し上げます! ありがとうございました!


      冬晴れのひと声ひかる画廊かな     季 己