壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

一年に一度

2010年01月13日 23時09分31秒 | Weblog
        一年に一度摘まるる薺かな     芭 蕉

 眼前に薺(なずな)を見ての吟であろう。「一年(ひととせ)に一度摘まるる」が感興の中心で、薺に向けられたかすかな愛隣の情が感じられる。
 芭蕉には、貞享三年のころ、「古畑や薺摘み行く男ども」、「よく見れば薺花咲く垣根かな」の作もある。

 『三冊子(さんぞうし)』に、「此の句、その春、文通に聞え侍る。その後、直(じき)に尋ね侍れば、師のいはく『其の頃はよく思ひ侍るが、あまりよからず、打ち捨てし』となり」とある。
 つまり、著者の土芳(どほう)が、この句について、師の芭蕉に手紙で尋ねたところ、芭蕉は、「その頃は、悪くはないと思っていたが、今は、あまりいいとは思わないので捨ててしまった」というのだ。年代は、『蕉翁句集』に元禄七年とある。

 季語は「薺」で春(新年)。「薺」は正月七日、七草粥(がゆ)に用いる七草の一つで、特に薺を若菜ということもある。

    「薺が青みはじめてきた。他の野菜の類(たぐい)ならば、一年その折々に
     摘まれるが、この薺は一年に一度、七草粥のときだけ摘まれるという、あ
     われ深い趣の草である」


      北風の墓場の横をボランティア     季 己