壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

闇を見よとや

2010年01月17日 22時26分30秒 | Weblog
          鳴海に泊りて
        星崎の闇を見よとや啼く千鳥     芭 蕉

 闇夜を残念がる亭主、安信への挨拶の発想かとも思われる。けれども、夜の千鳥の声に対し、星崎の闇の景を見よ、と呼びかけているのかと興じたところに、星崎の闇の景に、実は自分が心ひかれてゆく心情が生かされていると思う。
 自らの想に興じながらも旅情に支えられて、どこかつぶやくような寂寥の感が迫ってくる。
 この句の、「星崎の闇を」から「見よとや」にかかる微妙な声調の屈折が、自ずと「啼く千鳥」にわれわれを引きつけてゆくような感じがある。

 「星崎の闇を見よとや」というのは、真蹟画賛の前書きによれば、「寝覚めによいのは松風の里、呼続(よびつぎ)の浜は夜明けてから、笠寺は雪の日がよい」につづけて、「この星崎は(星にゆかりがあるから)闇の景がふさわしい」という心で、「星崎の闇の景を見よというのであろうか」の意に働いている。
 松風の里・呼続・笠寺・星崎は、いずれも鳴海潟付近の地名。
 季語は「千鳥」で冬。

    「星崎の闇の中で、千鳥が啼いている。あれは星崎の闇の景を見よというのであろうか」


      大仏の下まで冬日来て遊べ     季 己