壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

ひろく ひろく もっとひろく

2010年01月22日 20時56分17秒 | Weblog
 「楽しい、たのしい金曜日。楽しい、たのしい点滴を受けて来ま~す!」と言ったら、「楽しい、たのしい点滴を始めましょう」と先生が応じてくれた。

 隔週金曜日が、楽しいたのしい点滴(抗癌剤治療)の日。今日が、その楽しい金曜日。
 尿・血液検査、血圧、体温、体重、すべて申し分ない数値だという。それで本日の抗癌剤治療にGOサインが出たのだ。

 正午ごろ、外科処置室のベッドに横になる。0時15分に先生が見えて、楽しい、たのしい点滴の始まり、はじまり。
 今日も三時間あまりを、うつらうつら。自分のいびきで目を覚ましたのは、二回と記憶しているが定かではない。
 なお、治験のKさんのおすすめで医療相談室へ行ったところ、二月からの医療費の自己負担は、月額24,600円で済むことになった。(治験のKさん、および医療相談室のKさんに心より感謝申し上げます)
 たとえ3ヶ月後に戻ってくるとは言え、一ヶ月の負担が、十六万円余りから24,600円になるのだから大助かりである。ただしこの制度は、入院の際に適用されるもので、外来の場合は、それぞれの区市町村の条例により、適用・不適用がある、とのことである。幸い、荒川区には、外来の場合も適用される制度があったので、病院と区との話し合いの結果、適用が決まった次第。

 ――『金剛般若経』に、こんな“ことば”がある。

        「応無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)」

 「応(まさ)に住する所無くして其の心(しん)を生ずべし」と、読むのであろう。
 「応無所住而生其心」は、釈尊が、十大弟子の中で最もよく空思想を理解した須菩提(しゅぼだい。また、スボダイともいう)に、心の持ちようの要点を教えた言葉として知られている。
 梵語原典からの漢訳と、その詠み方はよくわからなかった。幸いなことに、原典からの和訳があるので大変勉強になった。すなわち、
        「求道者・すぐれた人々は、とらわれない心をおこさなければならない。何ものかに
         とらわれた心をおこしてはならない」(中村元、紀野一義氏訳)
 と。これではっきりするが、もう少しその先を読みつづけると、いっそう意味が明確になる。
        「形にとらわれた心をおこしてはならない。声や、香りや味や、触れられるものや、
         心の対象にとらわれた心をおこしてはならない」

 漢訳の「住する」とは、「住む・とどまる」の意味で、心が一点に停滞する状態をいう。交通渋滞が交通事故につながるように、心の停滞は、人間を迷わす根源となる。
 つまり、「応無所住而生其心」の意味は、「一点に執着することのない心をおこさなければならない」ということになろう。
 この「心」は、歌題にもされたほど、日本人の心に深く根を下ろしている。『続拾遺和歌集(しょくしゅういわかしゅう)』に、
        あはれなり 雲井を渡る 初雁も 心あればぞ ねをば鳴くらん
 とある。

 唐代の禅者は、「而生其心(しかも其の心を生ず)」の四字を深く見るようだ。「其心(ごしん)」とは、とらわれのない心で、その心が、般若の智慧のはたらきをするからである。
 奈良・薬師寺管長であった、故高田好胤師のつねに提唱された
        「かたよらない心 こだわらない心 とらわれない心
           ひろく ひろく もっとひろく ……」
 は、現代の人々によく理解される“ことば”であろう。


      セーターの看護師 勤め終へたらし     季 己