旅 宿
ごを焼いて手拭あぶる寒さかな 芭 蕉
しみじみとした覉旅(きりょ)の寒さが感じられる句である。「手拭(てぬぐい)あぶる」という語に芭蕉の姿があり、多くの句の中でも、芭蕉の肉体がじかに感じられる語の一つであろう。この「寒さ」は季の寒さであるが、人間と自然の滲透し合った「寒さ」でもある。
『笈日記』ほか二書の前書きは「旅宿」であるが、一書には、「吉田の内、下地(しもじ)にて」と前書き。
諸本、「焼て」とあるので、「たいて」・「たきて」の両様に読めるが、ここでは「たいて」と読んでおく。
貞享四年(1687)十一月十日前後、弟子の杜国を訪ねたときの句。
「ご」は松の枯落葉のこと。多くはかき集めて焚物にするのをいう。「こくば」・「こくぼ」ともいう。また、落松葉を掻き寄せる熊手を「ごかき」という。
江戸時代、伊賀・尾張・三河地方に方言として残った。『宇津保物語』(菊宴)に、「紅葉折りしきて松のご、果(くだもの)盛りて……」とあるのが初出という。
「下地」は、豊橋市内の下地町。
季語は「寒さ」で冬。
「旅の宿に泊まって、松葉を焚いて濡れ手拭をあぶってかわかしていると、寒村の寒々とした
旅情が、身に沁みるようである」
きょう一月二十日は、二十四節気の〈大寒〉である。一年で最も寒さが厳しい時季なのだが、今日の暖かさは異常である。
「虫干し展」で虫干しを終えた“箱入り娘”たちが、「画廊宮坂」から拙宅に戻り、それらを二階に上げるのに一苦労。大寒に、大汗を掻きながら全て二階には上げたが、整理は後日と決め込んだ。
今頃になって、手が痛くなってきた。やはり年のせいか……
大寒や疲れしらざる花椿 季 己
ごを焼いて手拭あぶる寒さかな 芭 蕉
しみじみとした覉旅(きりょ)の寒さが感じられる句である。「手拭(てぬぐい)あぶる」という語に芭蕉の姿があり、多くの句の中でも、芭蕉の肉体がじかに感じられる語の一つであろう。この「寒さ」は季の寒さであるが、人間と自然の滲透し合った「寒さ」でもある。
『笈日記』ほか二書の前書きは「旅宿」であるが、一書には、「吉田の内、下地(しもじ)にて」と前書き。
諸本、「焼て」とあるので、「たいて」・「たきて」の両様に読めるが、ここでは「たいて」と読んでおく。
貞享四年(1687)十一月十日前後、弟子の杜国を訪ねたときの句。
「ご」は松の枯落葉のこと。多くはかき集めて焚物にするのをいう。「こくば」・「こくぼ」ともいう。また、落松葉を掻き寄せる熊手を「ごかき」という。
江戸時代、伊賀・尾張・三河地方に方言として残った。『宇津保物語』(菊宴)に、「紅葉折りしきて松のご、果(くだもの)盛りて……」とあるのが初出という。
「下地」は、豊橋市内の下地町。
季語は「寒さ」で冬。
「旅の宿に泊まって、松葉を焚いて濡れ手拭をあぶってかわかしていると、寒村の寒々とした
旅情が、身に沁みるようである」
きょう一月二十日は、二十四節気の〈大寒〉である。一年で最も寒さが厳しい時季なのだが、今日の暖かさは異常である。
「虫干し展」で虫干しを終えた“箱入り娘”たちが、「画廊宮坂」から拙宅に戻り、それらを二階に上げるのに一苦労。大寒に、大汗を掻きながら全て二階には上げたが、整理は後日と決め込んだ。
今頃になって、手が痛くなってきた。やはり年のせいか……
大寒や疲れしらざる花椿 季 己