壺中日月

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不動明王

2010年01月28日 23時09分28秒 | Weblog
        正月の末の寒さや初不動     久保田万太郎

 初不動とは、不動尊のその年初めての縁日で、一月二十八日。関東では千葉の成田不動尊が知られ、大阪では天満宮のかたわらにある不動尊が有名である。
 この日、各地のお不動さんは老若男女を問わず、熱心な信者のお詣りで賑わいを見せる。

 お不動さんは、不動明王を親しみをこめた呼び名で、梵名をアシャラナータという。
 不動明王と呼ばれるのは、火を観想して動ぜず、あらゆる障害を焼き尽くす大智の火を身から発するといわれるからである。
 不動明王は、大日如来の使者となり、悪を断じ、善を修し、真言行者を守護する役割を担っている。しかし、本来的には大日如来の教令輪身(きょうりょうりんしん)で、如来そのものなのである。

 東寺講堂の不動明王像は、日本最古のもので、不動明王の基本形を示している。しかし、この像は両眼をともにひらき、上の歯で下唇を噛む形を示し、のちの不動明王像とは異なる姿である。
 京都・峰定寺(ぶじょうじ)の不動明王像は、左眼を半眼に閉じ、下の歯で上唇を噛み、二本の牙をあらわすが、これが普通の不動明王の姿である。この像は、頭髪もベン髪でなくて巻髪(けんぱつ)になっている。また、この像が三尊形式をとった立像だということも注目される。
 この像は、本尊千手観音像の脇侍なのだが、不動明王自身もその眷属として、右にこんがら童子、左にせいたか童子を従えている。

 不動明王への信仰は、密教が盛んになった平安初期から広まり、国や個人を守るものと考えられた。とくに江戸時代には、不動尊信仰に排他性がなく、どのような宗派のものでも信仰することが出来たために、東国民衆に広く信仰された。
 江戸には、目黒・目白・目青・目赤・目黄の五不動があったが、不動尊をその身体ないしは目の色で描き分けることは、平安時代からすでに存在していた。
 大津三井寺の黄不動・高野山明王院の赤不動・京都青蓮院の青不動を総称して、三不動という。


      雨雲の濃きも淡きも初不動     季 己