壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

吾亦紅

2008年09月23日 21時53分53秒 | Weblog
 「花岡哲象 日本画展」会場(銀座・画廊宮坂)に、ファンからの贈り物であろうか、清楚な花束が飾られていた。その中の“吾亦紅”が、妙に強く印象に残っている。

 初々しい愛らしさを持つ春の草花。
 激しい情熱に燃える夏の草花。
 しっとりと落ち着いた美しさの中に、一抹の哀愁を漂わせる秋の草花。
 ――萩・薄・桔梗・女郎花、すべてその類である。
 その中でも、おのずから滲み出たような慎ましやかさ、というよりも、極めて自己抑制が強いというべきものに、吾亦紅がある。

 バラ科の多年草で、山野に自生し、日当たりのよいところに多い。高さ約70センチで、小さな葉は、楡(にれ)の葉に似ている。
 初秋、暗い紅色の花の穂が、糸のように細い茎の先に抽き出て、道の辺の草叢からそっと差し覗いているこの花の姿は、「吾も亦紅(またくれない)なり」と、この文字を宛てた人の心遣いが偲ばれるほどに、いかにも控え目なものである。
 花というよりは桑の実に似て、野趣に富み、古くから歌にも詠まれている。

 吾も亦紅なりと、忘れられがちな身の上をかこつこの花の心が、その心を汲み取った人の心を揺り動かして、「吾亦紅」という漢字で表記させたものであろう。
 本来、ワレモコウという名があって、ただそれに「吾亦紅」の三文字を宛てたものとは思えない。
 ただ変人は、「吾も斯(こ)う」の意で、自分もそうなりたいの意から転じたもの、と考えている。
 「広辞苑」や「歳時記」には、「吾木香」とか「我毛香」という字も宛てているが、同じバラ科には属していても、モッコウバラとは似ても似つかぬ花である。ましてや、我が毛の香りなどとは、とんでもないことである。やはり、「吾亦紅」の文字がふさわしい。

        しやんとして千草の中や吾亦紅     路 通
 この句は、自己の存在を言葉少なに主張する、吾亦紅の心栄えを詠んだものであろう。
        此秋も吾亦紅よと見て過ぎぬ     白 雄
 また、この句は、控え目すぎて、世間から認められない己れの姿を、吾亦紅と共感した侘びしさを詠んだものかも知れない。


      日も水も己が香をもち吾亦紅     季 己