壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

いなづま

2008年09月11日 20時49分53秒 | Weblog
          稲妻  道与興行に
        いなづまや秋きぬと目にさやの紋     立 圃
 季語は「いなづま」で、秋。
 稲妻(いなづま)は、稲光(いなびかり)ともいい、雷雨に伴なった電光のことではない。秋の夜、空いちめんに光が走って、うす桃やうす紫の妖しい色に染まる。稲を実らせるものとして、「稲妻・稲の殿」と呼ばれ、そのはかない美は“無常観”と連結されていた。

 「さや」は、「さやか」と「紗綾(さや)」を言い掛けている。
 「紗綾」は絹織物の一種で、表面がなめらかで光沢がある。
 『和漢三才図会』に、「按ズルニ紗綾ハ綾ニ似テ、文、稲妻ノ如シ」とあり、稲妻や菱垣、卍などの模様を織り出したものが多い。
 稲妻と紋は、俳諧辞書『御傘(ごさん)』にも「紋の稲妻」とあり、「稲妻のうつるは紋か波のあや」や、「稲妻ひかる紗綾の手覆 / 鎌つかむ軍は秋の野にあれて」などの例によって、縁語と考えられる。

 この句が、『古今集』の藤原敏行の、
        秋きぬと 目にはさやかに 見えねども
          風の音にぞ 驚かれぬる
 を、本歌取りにしたことはいうまでもない。
 句は、闇夜の「いなびかり」が紗綾の紋のように思われ、そのあざやかさが秋の訪れたことを一目でわからせる、ともとれるし、また、『をだまき綱目(こうもく)』に「織物の紋の稲妻も秋なり」とあることから、呉服屋の店頭へ新しく並んだ稲妻模様の紗綾の稲妻紋に、秋の訪れをあざやかに感じ取った意とも、双方にとれよう。

 詞書の道与は、よくわからないが、『小町躍』に五句入集し、立圃門の人と思われる。この句からして呉服商であったかも知れない。
 ともあれ、本歌取りの歴然とした句だが、あざやかなイメージを与える句として評価されよう。


      文机の屋久杉てらす いなびかり     季 己