壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

伊坂幸太郎 『SOSの猿』

2008年09月25日 21時38分18秒 | Weblog
 台風15号が発生した。今年は本土に上陸した台風は一つもなく、今度の台風も今のところ、上陸の可能性はゼロに近い。

 古くは台風という用語はなかったので、草木を吹き分ける秋の強風を「野分(のわき)」といい、その風が吹くことを「野分だつ」といった。
 台風といえば雨を伴なうが、野分は風だけである。しかも、どことなく風雅めく趣があり、野分のあとはからりと晴れて、秋草や垣根の倒れる哀れな情景とともに、えもいわれぬ爽涼感が到来するのである。 

 秋の野分に、くるくると吹き裏返されて、白みを帯びた葉裏を見せる葛の葉は、ひとしお秋の侘びしさを添えるものである。
 大型の三つ葉に分かれた葛の葉の、腋から15センチほどの穂を抽き出して、藤に似た蝶形の赤紫に咲く花も、秋の七草の一つに数えられて、可憐な風情のあるものである。
 山の木立の茂みや、荒れ果てた庭の片隅に、思いもかけず葛の花のはなやかな色彩を見出して、ふと驚かされることがある。

 葛湯・葛餅・葛根湯……、身近な人間生活に豊かな実益を提供しながら、決して栽培されることもなく、野生のままに放置され、あれだけ美しい花を咲かせながら、その美しさを忘れられている草も、珍しいのではなかろうか。

 葛の葉が、風のまにまに吹き裏返されて、その葉裏を見せることから、「裏見葛の葉」という言葉が生まれ、古くから、人の心の恨みに掛けて、和歌に詠み込まれているのも、なにがなし置き去りにされた葛の葉の恨みが通っているような気がする。

        恋しくば 尋ね来て見よ 和泉なる
          信太(しのだ)の森の うらみ葛の葉
 これは、有名な信太の森の白狐にまつわる、信太妻の伝説の中の歌である。
 助けた白狐が、美しい女性になって現われ、正体を狐と知らずに妻として、すぐれた子どもを得るという説話は、平安朝の初めに作られた『日本霊異記』に載せられている。
 浄瑠璃や常磐津、説経節、長唄に扱われる信太妻の物語は、この説話を脚色したものである。

 助けられて安倍保名(あべのやすな)の妻となった白狐は、夫の留守中、つい菊の花に見とれて本体を現わし、子どもに見つけられてしまう。
 そのことを恥じて白狐は、「恋しくば」の歌を障子に書き残して、姿をくらませてしまう。
 やがて、帰宅した保名はこれを見て、初めて妻の正体を悟り、母を慕う子どもを連れて、信太の森を尋ねる。
 しかし、二度と人間に立ち戻ることの出来ない白狐から、水晶の玉と黄金の箱とを与えられて帰る。
 その後、子どもは成長して、安倍晴明と名乗り、母から与えられた水晶の玉と黄金の箱との霊力によって、天文学と陰陽道のすぐれた博士になり、天下に名高い占いの名人になるという、虚実ないまぜた筋書きである。

 「虚実ないまぜ」といえば、「実と虚の境目の世界」を描くのがうまいのが、伊坂幸太郎である。これは、「現実に、嘘を上手に交えた話ほど面白い」という彼自身の考え方の反映という。
 その伊坂幸太郎の『SOSの猿』が、読売新聞夕刊小説として、10月3日から連載が始まる。全国紙初登場である。
 困った人を救う「私の話」と、西遊記を取り込んだ「猿の話」が不思議で切ない世界に誘います、とは読売新聞のキャッチコピー。

 作者の言葉:「子供からのSOSを見逃すな」という言葉を記事で目にしたことがあります。とくだん新鮮とも思えない言葉がその時は妙に気になり、辞書で、「SOS]を引いてみたのですが、すると、「俗にSave Our Ship(Souls)の略」とあり、はっとしました。「私たちの船(魂)を救って!」という響きに、迫力を感じたからです。以降、頭にずっとその言葉が残っていて、今回、その「SOS]を柱に、お話を書くことになりました。楽しんでもらえれば幸いです。(読売新聞、9月25日夕刊)

 これまた虚実の間(あわい)を描いた、面白い小説になりそうで、連載開始の10月3日が待ち遠しい。
 これまで殆んど新聞連載の小説を読まなかった、いや正しくは、最初の3行を読んだだけで投げ出してしまった変人。その変人を、毎日読ますことができるか。
 伊坂幸太郎と変人の勝負が、10月3日から始まる。願わくは変人の負けになることを……!


      葛の葉の裏は見せまじ五合庵     季 己