壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

にほの海

2008年09月27日 20時57分54秒 | Weblog
 きのうは広瀬惟然の、「別るゝや柿喰ひながら坂のうえ」を紹介した。
 惟然は、美濃の関に生まれたが、生年は不明である。家業の酒造業を捨てて遁世したことはわかっている。
 元禄元年(1688)、イギリスの名誉革命のあった年に芭蕉の門に入り、元禄三年以後は、芭蕉に随従し、骨身を惜しまず師の身の回りの世話をしたので、師から親愛された。
 師の芭蕉の亡き後は、九州・東北・北陸などを行脚(あんぎゃ)した。
 元禄十四年(1701)、京都岡崎の風羅坊に芭蕉像を奉安し、播磨行脚には、風羅念仏を唱えるなど、口語体の新風を興し、あまたの奇行を重ねた。
 天真爛漫な性格で、欲がなく、清貧を楽しみ、、丈草と親しい。
 また、鬼貫(おにつら)・月尋ともつきあいがあった。

 さて、惟然の句で、きのう紹介した句と同じような形の句があるので、きょうはそれを紹介しよう。

        蜻蛉や日は入りながらにほの海     惟 然

 「蜻蛉」は、「とんぼう」と読む。「にほ」は、カイツブリの古名であるが、「にほの海(湖)」となると、琵琶湖の別称である。
 「○○や○○ながら○○○」と、形が非常によく似ている。

 「日はまさに没しようとしているが、琵琶湖はまだ明るさを残している。岸辺近くには残光をたよりに、蜻蛉の群が湖面低く飛びかっている」という意である。季語は「蜻蛉」で秋である。

 「蜻蛉や」は、蕪村の「蜻蛉や村なつかしき壁の色」のように、すぐに夕日が連想され、切字の「や」によって、さまざまな余情を呼びおこす。「や」は、一字足りないから付け足すのではなく、この句の「や」のように使うものなのである。
 暮れようとする湖面と蜻蛉の翅が、ほのかな夕明りにときどき光り、微妙な明暗をはっきりとさせる。また、小さな蜻蛉が、その背景となっている琵琶湖の大景をひきしめている。

 さらに、この句と引きあいに出される芭蕉の「四方より花き吹入れてにほの海」は、春の鷹揚な趣と古典的なよさ、写実的というよりも、どこか幻想的な美を吟じているのに対して、惟然の句は、それを現実的情景に置き換え、芭蕉への慕情を残しながら、なんともいえない秋のさびしさを漂わせている。


      蜻蛉の風を見て身の置きどころ     季 己