壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

秋の蚊

2008年09月19日 21時49分48秒 | Weblog
 残暑の厳しい頃には、あんなにもうるさいほど飛びまわっていた蠅や蚊が、秋風が立ちはじめると、めっきり数が少なくなった。
 しかし、その少なくなった蠅や蚊は、これがまた浅ましいまでに、生への執着を見せる。
 羽ばたきも物憂く、動作も鈍くなった蠅が、食卓にとまって、追っても追っても飛び立とうとしない図々しさ。
 盛りの夏には、蠅たたきの気配よりも逸早く逃げ去った蠅が、秋の彼岸ごろには、手も触れんばかりに追い立てても、じっと食物に取り付いたまま、一歩も譲らない。
        日だまりの石を離れず秋の蠅     良 介
 いずれ終わる命の束の間を、食物に飽き満ちるまでは、たとい打たれようともこの場は動かぬふてぶてしさ。あのうるさい五月の蠅以上に、憎々しさが増す反面、一抹の哀れさを感じる。
        秋の蠅うてば減りたる淋しさよ     虚 子

 ところが、秋の蚊となると、同じ憎さでも、蠅とはちょっと事情が違ってくる。夏よりも生活条件が悪くなった秋には、蚊もボーフラから抜け出たばかりの小型に出来上がっている。そのごく小さい蚊が夕方のほんのひと時、ここを先途と攻め立ててくるのが猛烈だ。
 秋も深まるにつれて数が減り、動作も鈍くなり、なんとなく弱々しく思える蠅とは違って、この小さな蚊は、すこぶる敏捷である。
 打とうとしても、たやすく打つことは出来ない。そのうえ、いったん逃がしたとなると、姿が小さいものだから、すぐに見失って、追うことすら出来ない。
        秋の蚊を手もて払へばなかりけり     虚 子
 逃げたかと思って油断をしていると、すぐ耳もとをくすぐるようにプーンと鳴いて来ては、チクリと刺す。どれほどの血を吸うでもないのに、それがまた猛烈に痛くて痒いのだ。
        
        秋の蚊のしふねきことを怒りけり     風 生
 動作に緩急の差はあっても、やがて終わる生命に執着して、ひと時の快楽をぬすもうとする執念深さにおいては、蠅も蚊もえらぶところはない。
 しかし、秋が深まり気温も低くなって動きが鈍くなり、見るからに弱々しく飛ぶ姿は、なんとなく哀れに見えてくる。
        秋の蚊のほのかに見えてなきにけり     草 城

 蠅も蚊も、ともに夏のうとましい虫であるが、秋が深まってからは心なしか、人なつっこい感じがする。
 「秋」の、われわれにもたらす感傷のためであろうか……。


      秋の蚊に攻められ母のひとりごと     季 己