壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

喜田 直哉 個展

2008年09月15日 21時55分25秒 | Weblog
 期待以上に“進化”していた。無心に、ひとすじの気持ちで描かれているのが、うれしかった。

 「喜田直哉個展」に行って、楽しんできた。
 大は30号Sから、小は0号まで、全部で14点の展覧である。
 この一年、色々なことがあったと思う。ご自身の結婚、そして、義父の死などなど、この個展が延期になるのでは、と思っていたが、杞憂に終りホッとした。

 喜田さんは確実に進化している。それも期待以上に……。
 喜田さんの作品は、一見、水墨画のようだが、“俳句”だと思う。
 大多数の画家は、“足し算”で描くが、喜田さんは、“引き算”で描いている。
どういうことかというと、まず、画面に墨を塗り、真っ黒にする。次に消しゴム等を使って消していき、ライオンならライオンを形作っていくのである。濃淡、陰影すべて消しゴムを使っての消し具合にかかっている。どうしてこんな“しちめんどくさい”ことをするのかは、知らない。
 だが、“足し算”の水墨画とは格段に違う。一言で言えば、喜田さんの作品は、リアルでやわらく、あたたかい。“いのち”がある。
 俳句も、余分なものを削って省略し、単純化することが大切なのだ。そうして対象物の“いのち”をつかみ出せたとき、その句は名句となる。
 変人が、喜田さんの作品に心ひかれるのは、こうした共通点があるからかもしれない。

 坂村真民の詩の一節に、こんなのがある。
        むねに光を!
        くらしに夢を!
        それはわたしたちの
        祈りであり
        願いである
 忙しい中にも、少しでも心を静めようと、書画に親しむようになったのだが、喜田さんの作品には、その「むねに光を! くらしに夢を!」の祈りがあり、願いが感じられる。
 在職中は、職場の部屋に、よく喜田さんの作品を掛けて置いたものだ。

 期待以上に“進化”した、と書いたが、モノクロの世界に今展では、色彩の世界の作品が増えたのだ。もちろん、こちらは“足し算”で描いている。これがまた素晴らしい。
 とりわけ、「古代風景・森人」が佳かった。小品ではあるが、大きく見える。第一、古格があるのがいい。古格があるのに新しい。
 画面中央に大木の塊があり、その左は一面の雲、右側は遠景と空だ。
 喜田さんは、どんな祈り、どんな願いを込めて描かれたかわからない。けれどもそれは、鑑賞者が、それぞれ自由に観ればよいと思う。
 変人には、昔のよき時代の鎮守の森が見えてくる。画面中央の大木は、神様がこの世に降りて来られるときの依代(よりしろ)だ。その依代を荘厳するのが、画面左の雲なのだ。

 禅語に「一水四見」という言葉がある。これは、一つの水も、天人は瑠璃に、人間は飲料に、餓鬼は血に、魚は住処にと、それぞれ自分中心の立場で見ると、見方が異なるのを言う。
 作品鑑賞は、これでいいと思う。むしろ、「一水四見」の作品のほうが好きである。誰が見ても同じに見える「絵葉書」作品だけは、買いたくないし、見たくもない。

 “引き算”の作品も、どれも甲乙つけがたいほど、魂のこもった快作である。そのうえ、どうしてこのタイトルをつけたか、という謎解きの楽しみがある。
 たとえば、DMに使われた作品「理の公式」。ライオンの頭上に、宝飾品が輝いている作品だ。
 変人の解釈のヒントだけを書いておくので、実際に会場へ行って、作品と対峙して謎解きを楽しんでいただけたら、うれしい。
  [ヒント]①ライオンは百獣の王といわれる。
       ②「理」には、次のような意味がある。
         ア、宝石の模様のすじめ
         イ、動植物の表面にあるきちんと整ったすじめ
         ウ、治める
       ③「公式」には、次のような意味がある。
         ア、おもてむきの儀式
         イ、数や式の間に成り立つ関係

         喜田 直哉 個展
      9月15日(月)~9月20日(土)
      午前11時より午後6時まで(最終日は5時まで)
         画廊 宮坂
      中央区銀座7-12-5 銀星ビル4階
        ℡(03)3546-0343


      敬老といふ日の海の雲まろし     季 己