壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

杜窯会陶芸展・金大容

2008年09月12日 21時54分52秒 | Weblog
 日本橋三越本店へ行く。
 特選画廊で、「雨宮 淳 彫刻展」を観る。
 先生は、日本芸術院会員で、日展・日彫展を中心に早くから具象彫刻界の中で頭角を現し、ライフワークともいえる“あるがまま”の女性の美を表現し続けておられる。
 今展の副題に「気韻生動を求めて」とあるように、女性の内なる生命と精神の輝きに溢れた作品、およそ30点が一堂に展覧されているのは、“お見事”の一語に尽きる。
 しかし、貧乏人の悲しさ、「観るだけよ」の高嶺の花の彫刻展であった。

 眼福をしっかり心に刻んで、工芸サロン・アートスクエアの「杜窯会 陶芸展」へ。
 東京藝術大学工芸科陶芸教室の学生・研究生・教官・卒業生による恒例の展覧会で、今年、第45回を迎える。
 杜窯会は、東京藝術大学1期生からの陶芸展で、卒業生も280人と大きくなり、多種多様の陶芸作家に育っているとのこと。喜ばしい限りである。
 使いやすさと創造性を兼ね備えた“うつわ”を中心に約300点の出品である。

 教官と卒業生の作品は、ガラスケースの中に鎮座していて、触れることはできない。ガラス越しに観た感じでは、やはり、教官の島田文雄先生の作品がピカ一。あとは変人の琴線に触れる作品は皆無だった。
 つぎにアートスクエアの研究生・学生の作品を観る。
 こちらには、琴線に触れた“作家の卵”が5名。学部4年生の学生が1名、あとの4名は大学院の研究生。この5名のうち、日本人が2名、あとの3名は韓国人であった。

 中でも、金大容(キム・デヨン)さんの「粉青窯変面取壺」には、心を奪われてしまった。
 作品を穴のあくほど見つめていたら、「裏側もご覧になりますか」と、ひとりの青年に声をかけられた。聞けば、作者の金大容さんだった。
 裏側を見せていただいたついでに、色々とお話を伺った。
 彼は、東京藝大大学院研究科博士後期課程の研究生で、日本の陶芸を学ぶために5年ほど前に来日したとのこと。彼は、日本に来る前にすでに、韓国で若き陶芸家として活躍していた、とは彼の後輩の研究生の話である。
 粉青沙器が専門のようだが、「面取」に心魅かれて、それを学ぶために韓国からわざわざ東京藝大の大学院の研究生になった、ということらしい。

 粉青沙器は、灰色の素地に白土を用いて、さまざまな装飾を施した陶磁器のことで、日本では三島、刷毛目、粉引などと呼ばれ、古くから茶人に愛されてきた。
 技術的には高麗の象嵌青磁を受け継ぐもので、自由闊達で親しみやすい文様表現が魅力といわれている。
 金大容さんの作品でもう一点、気に入った作品がある。それには竹の文様がさらっと描かれている。これも彼の自信作で、彼自身おそらく手元に残しておきたい作品ではないかと推察する。
 いま彼は、文様なしの作品に挑戦し続けている。文様の代わりに面取で、光の陰影を楽しめる作品を生み出しているのだ。
 4年前に学生・研究生が共同で穴窯を作ったという。けれども今は、薪を焚いて穴窯で焼くのは、彼と日本人のOさんの二人だけだという。

 「粉青窯変面取壺」は、素焼きをした面取壺を、白土を溶かした液の中に、どっぷりつけて、化粧を施す。それを穴窯で三昼夜焚いて、火を止める。そのタイミングが難しいという。
 火を止めるタイミングが、グッドタイミングであれば、“窯変”がとれる。だが窯変のとれる確率は非常に低い。窯変どころか、普通の作品もとれず、一窯全滅ということもあるそうだ。
 三昼夜、薪を焚くと、薪代だけでも七万五千円ほどかかるとのこと。
 まろやかな器形、清らかな釉肌が独特の美しさを放つ「粉青窯変面取壺」は、李朝以上に李朝らしく、変人を魅了してやまない。
 「粉青窯変面取壺」の何気ない姿に、「無垢の美」をひしひしと感じる。

 ぜひ、会場へ出かけ、お気に入りの作品を見つけて、購入していただきたい。価格は非常に安く設定してある、と確信する。生活は大変だが、それよりも、多くの人たちに使って欲しい、喜んでもらいたい、というのが、彼ら・彼女らの願いなのだ。
 そうすれば、お気に入りの作家の卵の成長を見守る、という楽しみもできるはず。
 「杜窯会陶芸展」は、9月15日(月・祝)まで。最終日は午後5時30分閉場。


     秋光の粉青窯変面取壺     季 己