壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

絵画三昧

2008年09月20日 21時52分39秒 | Weblog
 花屋の仏花が千円になると、彼岸がやってくる。

 きょう九月二十日は彼岸の入り。今年の中日(秋分の日)は、二十三日である。
 俳句の世界では、単に「彼岸」といえば春の彼岸を指す。秋の彼岸は、「秋彼岸」・「後の彼岸」といい、秋分を中日とした七日間をいう。
 法要や墓参など、春の彼岸と同様に行なわれる。
 また、彼岸は花屋の日でもある。ふだん六百円の仏花が千円に跳ね上がる。この仏花の値段で、彼岸やお盆の近いことを知るのだから、やはり変人。

 和菓子屋の前では、「おはぎ」と大書された幟が、台風一過の風にはためいていた。
 「おはぎ」といえば、日本画家の菅田友子先生から早々に、おいしそう、いや、うまそうな「おはぎ」を送っていただいた。それも、餡こと黄粉の二種類を。
 けれどもまだ食べてはいない。飾ってあるだけである。
 そう、「おはぎ」は、いつも先生が送ってくださる絵手紙の絵なのである。

 午後二時から、日本橋三越の「池田清明油絵展」会場で、池田清明先生のギャラリートークを拝聴する。先生のほか、奥様・二人のお嬢様、つまり家族全員参加という非常に珍しいギャラリートークとなった。
 お二人のお嬢様をモデルに、描き続けてこられた池田先生の女性像は、尽きせぬ愛情と幸福感にみちみちて、その可憐な表情の清純さと凛とした強さを感じさせる美しさは、観る者の心をひきつけてやまない。
 長女の初絵さんから「ご案内」をいただいたので挨拶をしようとしたが、次から次へと応対し、忙しそうだったので今日も声をかけずに会場を出た。実は、初日と二日目も来たのだが、初日は、今日以上の混みよう、二日目は、姿が見えなかった、という次第。

 日本橋から徒歩で銀座の「画廊 宮坂」まで。『喜田直哉 個展』の復習と再確認をするためだ。
 初日にも楽しませていただいたが、今日が最終日なので、彼の作品をしっかりと身体に沁み込ませ、思い出と希望とが詰まった作品に、どっぷりと浸かった。
 この個展については、9月15日のブログで書いた。独断と偏見によるものだが、喜田さんも見てくださり、逆に、このブログをお友達に宣伝していただき、恐縮している。
 茶道の大成者、千利休の茶の湯の道歌に、「稽古とは、一より習い十を知り、十よりかえるもとのその一」というのがある。茶の湯の心得が全くないので、勝手に「昔の物事や古典をよく学び、道理や意味合いを正確に会得し、現在の生き方の光とする謙虚さ」と理解している。
 喜田さんにこの謙虚さがあるからこそ、古格のなかに新味のある独創的な作品が生まれるのであろう。
 今日もまた、絵画三昧の一日を過ごせたことに感謝!


      どつぷりと絵画三昧 秋彼岸     季 己