壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

赤とんぼ

2008年09月24日 21時33分55秒 | Weblog
        夕焼け小焼けの 赤とんぼ
        負われて見たのは いつの日か

        山の畑の 桑の実を
        小籠に摘んだは まぼろしか

 ご存知、三木露風 作詞、山田耕作 作曲の「赤とんぼ」の一節である。
 いま、篠笛でこの曲の練習をしているのだが、曲のつけ方が非常にうまいと、つくづく感心する。
 日常会話には、滅多に登場しない「赤とんぼ」であるが、時たま耳にするのは、「赤とんぼ」ではなく、「垢とんぼ」が多い。赤くてかわいいトンボが、垢まみれの薄汚れたトンボに思えてならない。「赤」と「垢」は、同じ「アカ」という発音であるが、アクセントが違うのだ。
 その点、山田耕作の曲は、正しい日本語のアクセントとピタリと一致している。さすが大作曲家と感心するばかりである。

 近くの自然公園には、つい最近まで、オニヤンマ・ギンヤンマ・シオカラトンボなどの姿が見られた。
 トンボ・ヤンマは夏季と思われがちだが、「あきつ(秋津)」の古名があるように、秋季である。
 これらのトンボの姿が見えなくなり、高く澄んだ青空の下を、赤とんぼの群が、低く飛び交うようになると、それはもう全くの秋である。
 それも、夕日が西の空を茜色に染める頃、赤とんぼの群は、いっそう低く低く飛んで、いまさらのように日脚が短く、暮れやすくなったことを思い知る。
 赤とんぼは、もっとも季感のあるトンボといえよう。

 一口に、赤とんぼと言っても、いろいろあって、秋あかね・深山あかね・夏あかねなどが普通で、眉立あかねは黒い眉斑が、牛若丸に似てかわいい。
 秋あかねは、夏は高山にいて、身体の色がまだ黄色味がかっているのだが、秋になり気温が低下してくると、赤味が増し、鮮やかな茜色になり平地に戻ってくる。
「雄は赤色だが、雌は黄褐色である」と、歳時記にはある。

        染めあへぬ尾のゆかしさよ赤蜻蛉     蕪 村
 すぐれた画人の眼をもって、赤とんぼの微妙に色変わりする生態を見逃さないのが、ナガレイシいや、さすが蕪村である。
 襟元がうすら寒くなる晩秋の、藁塚に早くも霜が白く光るような朝にさえ、忘れられたように一つ二つ飛んでいる赤とんぼ。
        うろたへな寒くなるとて赤とんぼ     一 茶
 これは一茶の句であるが、読み取り方により、二通りの解釈が可能であろう。
 「寒くなるからといってあわてるのじゃないよ、赤とんぼさん」と、赤ちゃんに呼びかけるような、一茶の優しさを読み取るのが普通であろうが、
 「寒くなるからといってあわてるのじゃないよ、まだ赤とんぼが飛んでいるじゃないか」と、自分を力づけていると見るのも面白い。


      赤とんぼこの頃おむつ干すを見ず     季 己