壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

芙蓉

2008年09月22日 21時55分14秒 | Weblog
 大柄な花の少ない秋の季節に、ひときわ美しく咲き誇るのが芙蓉である。
 芙蓉は、木槿と同じくアオイ科の落葉低木で、花も葉も、木槿よりは一回りも二回りも大きく、木の丈は小さい。
 その花は、牡丹や芍薬にも似た艶めかしさと華やかさとを備え、夕顔や朝顔にも似たやや淋しい清らかさといった、互いに矛盾した味わいを一つに集めて、人の眼をひくのが芙蓉の花の特徴であろう。
 芙蓉は、沖縄県・九州・中国地方に自生するが、室町時代頃に、中国から伝わって来たものといわれている。

 木槿が、木の槿(あさがお)と書くように、芙蓉も木芙蓉(もくふよう)というのが正しいという。もともと芙蓉というのは、中国では蓮の別名であった。したがって「広辞苑」で“芙蓉”を引くと、「①ハスの花の別称。美人のたとえ」とある。同じく“蓮”を引くと「③ムクゲの別称」とあり、“木槿”を引くと「はちす。きはちす。ゆうかげぐさ。もくげ」とある。
 ということは、芙蓉も蓮も木槿もみな同じということになってしまう。古句を鑑賞する場合、よくよく注意する必要がある。
 木槿と芙蓉は似ているが、蓮の花と芙蓉の花とは、あまり似たところが見受けられないのに、これは一体どうしたことだろう。

 芙蓉は、観賞用に庭園や花壇によく植えられ、おもに淡紅色の美しい五弁の花を開くが一日でしぼんでしまう。高さ1.5メートルほど、花の大きさは10センチ前後で、白い花や八重咲きのものもある。
 一重の芙蓉には清らかさがまさり、八重の芙蓉には、華やかさと艶めかしさがまさっている。
 その八重の芙蓉を、中国では「酔芙蓉」というとのこと。
 八重の芙蓉は、はじめは白い花を咲かせているうちに、だんだんと紅色が出てきて、ついには鮮紅色に変わってしまうので、お酒を飲んだ人の顔が、だんだん赤らんでくるのに喩えたものであろう。
 だから、八重の芙蓉の木には、一株の中に、白い花や淡紅色、真っ赤な花などと、色とりどりに咲き乱れているのが見られるわけである。

        枝ぶりの日ごとにかはる芙蓉かな     芭 蕉
 「芙蓉は下のほうから咲き始めて、しだいに高いところに及ぶ。朝咲いて夕方しぼむので日ごとにかわった感じだ。その枝ぶりも日に日に変化するようでまことにおもしろい」という意であろう。
 この句は、画賛であるので、描かれている芙蓉に動きを加えた発想である。遊女の画賛という言い伝えもあるが、それでは思わせぶりな句になってしまう。

 ところで、芙蓉や蓮の花などを描かせたら天下一品なのが、花岡哲象先生であろう。
 今ちょうど、東京銀座の「画廊 宮坂」で、先生の個展が開かれている。ぜひ会場へ足を運ばれ、ご自分の眼で確かめていただきたい。

       第42回 花岡哲象 日本画展
       9月22日(月)~27日(土) 午前11時~午後6時
       先生は、25日~27日の午後、会場にいらっしゃいます。
           「画廊 宮坂」
       中央区銀座7-12-5 銀星ビル4階
         電話 (03)3546-0343 


      雨過ぎて常の日となり白芙蓉     季 己