「九月菊花アリ、花事ココニ至リテ窮マリ尽ク……」とあるように、菊は、花の決定版であろう。奈良朝後期の中国からの渡来品であるというが、清く、あでやかで荘厳でさえある。
黄菊白菊其の外の名はなくも哉 嵐 雪
「色とりどりの菊が咲き揃っているが、清楚な美しさにおいて黄菊白菊が最もよい。そのほかの菊は、むしろ無い方がよい」の意である。
「其の外の名は」と言っているが、実は「其の外の菊は」の意である。「菊」の重複を避けて、「名は」と表現したのは技巧である。
この句は、「菊花九唱」として発表された連作中の其の三で、「百花を揃へけるに」の詞書がある。
菊を愛することは、隠逸のポーズとして、当時の俳人の間にも流行していたものと思われる。
この句は、嵐雪の代表作の一として、後世ことに喧伝された。
『俳諧世説』によると、其角がこの句に深く感じて「我、一生此の句に及ぶこと思ひもよらず」と嘆息したという。この逸話は、真偽のほどが明らかでないが、こうしたことが一層この句を有名にしたものと思われる。
雲丸くまるく下総菊日和 季 己
黄菊白菊其の外の名はなくも哉 嵐 雪
「色とりどりの菊が咲き揃っているが、清楚な美しさにおいて黄菊白菊が最もよい。そのほかの菊は、むしろ無い方がよい」の意である。
「其の外の名は」と言っているが、実は「其の外の菊は」の意である。「菊」の重複を避けて、「名は」と表現したのは技巧である。
この句は、「菊花九唱」として発表された連作中の其の三で、「百花を揃へけるに」の詞書がある。
菊を愛することは、隠逸のポーズとして、当時の俳人の間にも流行していたものと思われる。
この句は、嵐雪の代表作の一として、後世ことに喧伝された。
『俳諧世説』によると、其角がこの句に深く感じて「我、一生此の句に及ぶこと思ひもよらず」と嘆息したという。この逸話は、真偽のほどが明らかでないが、こうしたことが一層この句を有名にしたものと思われる。
雲丸くまるく下総菊日和 季 己