壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

木槿

2008年09月18日 21時54分59秒 | Weblog
 散歩をしていると、そこここに木槿(むくげ)の花が目立つ。
 荒川区には、韓国の方が非常に多い。木槿は韓国の国花と聞くが、それと木槿の花の多さとは関係があるのだろうか。

           馬上吟
        道の辺の木槿は馬に食はれけり     芭 蕉

 「馬上に旅を続けていると、道の辺に木槿が白い花を一つ咲かせているのが目に入った。何気なく見て過ぎようとしたとき、その木槿の花は馬に食われて、眼前からふと消え失せ、にわかに心惹かれるものを感じることだ」という意に解する。
 この句は、「出る杭は打たれる」という寓意だとか、「無常迅速」を観じたと見るのは、あたらないと思う。
 「馬上吟」と前書きがあるように、この句は「眼前」の吟なのだ。
 見るともなしに見ていた木槿の白い花が、ひょいと食われてしまった、という一瞬の心の動きが言いとめられたものなのである。ことさらに巧んでなく、自然な句の姿で、今までの作にくらべて、その点に芭蕉の新しい歩みの跡をうかがうことができる。古今の木槿を詠んだ句の、ナンバーワンだと思う。

 木槿は、むかしは生垣や畑の境目などに植えられていたが、いまは独立した一本の木として、この辺では植えられている。
 芙蓉によく似た花で、うす紫で花底の濃い色のものが多く、白やピンクもある。夏の終りから咲き始めて、秋の最中に盛んに咲く花である。

        鼻かんで捨てたるはてや白木槿     也 有
 この句は、白木槿の落花が、鼻をかみ捨てたチリ紙のように見える形を、ありのまま取り上げはしたものの、ただそれだけのおかしさで、芭蕉の句のような広がりがない。

 『萬葉集』巻十に見える、
        朝がほは 朝露負ひて 咲くといへど
          ゆふかげにこそ 咲きまさりけれ
 の歌に詠まれた「朝がほ」は、いまの木槿のことで、おそらくこれも白木槿であろう。実体に忠実な観察がなされている、と言えよう。
 朝の明るい光の下では、也有の句に詠まれた、鼻をかみ捨てたチリ紙ほどにしか見えない白木槿の花が、黄昏時の薄明かりには、かえってぽっかりと浮かび上がって、妖しいまでの美しさを漂わせている微妙な効果に着目した、万葉歌人の鑑賞眼を褒めねばなるまい。


      ゆるやかに着て笛匠(ふえだくみ)むくげ咲く     季 己