壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

幻想

2008年09月21日 21時54分24秒 | Weblog
 小雨の中、「21世紀の森と広場」を散策する。木々や草花、鳥や昆虫などと、俳句の材料には事欠かない。逆に、句材が多すぎて、一句をものすことが困難になるのも事実である。
 「21世紀の森と広場」は、新京成「八柱駅」の南口から、桜並木のさくら通りを進み、左に折れ、さくら橋の下を潜り抜けた先にある。駅から徒歩15分ほどであろうか。
 案内板によると、
 21世紀の森と広場は「自然尊重型都市公園」を計画理念としてつくられ、平成5年4月29日にオープンしました。
 公園づくりのコンセプトは、「千駄堀の自然を守り育てる」です。
 ということである。

 1時半になったので、隣接の「森のホール21」へと急ぐ。小ホールでの「岡本孝慈 ピアノリサイタル」を拝聴するためである。
 岡本孝慈氏は、東京藝術大学大学院終了の後、ドイツ学術交流会の奨学金を得て、デトモルト音楽大学に留学、修了試験に首席で合格したという逸材である。
 氏は、知人のビオラ奏者、岡本潤也氏の実兄である。

 プログラムは、
   ベートーヴェン  幻想的なソナタ 嬰ハ短調 作品27-2「月光」
   ブラームス    幻想曲 作品116
   マルタン     フラメンコのリズムによる幻想曲
   ベートーヴェン  「熱情」のソナタ ヘ短調 作品57
 の4曲で、このほかにアンコールとして、小品を2曲演奏された。
 今日のプログラムは、最後の「熱情」のソナタ以外はすべて幻想曲。どうやら本日のテーマは、幻想曲ということらしい。
 作曲家が、その作品に「幻想曲」と名付けるには、どんな理由があるのだろう。
 浅学にして「幻想曲」の意味さえ知らないので、「広辞苑」をひいてみた。

 【幻想曲】楽想の自由な展開によって作曲した形式不定のロマン的器楽曲。
     古くは模倣的対位法による楽曲の一種。ファンタジア。ファンタジー。

 ますます分からなくなった。そこで、今日の演奏を思い起こし、3曲の幻想曲の共通性を探ることにする。「幻想曲」と名付けるには、その表現内容には、ある一貫性があるような気がするので。
 「幻想曲」には、何か神秘的な“激しさ”があるように感じる。それは、演奏者の外面的な動きのみならず、内面的な“情熱”からくる“激しさ”ではないか。
 作曲家それぞれの個人的な感情の中に入っていくことは、なかなか難しいことである。したがって、演奏者が、何らかのインスピレーションを得た、と思えたときに「幻想曲」をプログラムに取り上げるのではなかろうか。
 最後の演目、「熱情」のソナタが、それを暗示しているように思えてならない。
 ピアニストのミケランジェリは、「500回弾かないと駄目だ」と言ったそうだが、そのくらいの“情熱”を持って、自分自身、篠笛の稽古に取り組んでいきたいと、しみじみ思った。

 詩人であり、童話作家であり、宗教家、科学者でもあった宮沢賢治は、昭和8年(1933)の今日、9月21日に37歳の若さで没した。
 賢治の多彩な才能によって形象化された作品世界は、思想性の強い特異な言語宇宙である。それゆえに、一つひとつの作品は、われわれの前にさまざまな読みの可能性をひらいている。
         金剛の露ひとつぶや石の上     茅 舎
 一滴の露に全宇宙の美を見、一陣の風に永遠のときを感ずる。空にひび割れを見、天に響く妖しい楽の音を聴き、月にりんごの匂いを感ずる。
 賢治は、心の中に明滅するさまざまな幻想や思念を、その場で書き留めて、それらを「心象スケッチ」と呼んだ。
 賢治は、美を目指したというよりは、はるかに強く生を目指した、といえよう。生の心象そのものが、内からの照射を受けて幻化している。
 賢治の作品の多くは、幻化された心象世界によって、読者の心を魅了するのだと思う。


      賢治忌の月に林檎の匂ひかな     季 己