壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

白露・秋茄子

2008年09月07日 21時08分00秒 | Weblog
 今日も残暑厳しき一日であった。
 太陽の光も、その射し入る角度も、しかと秋である。

 秋といえば、もうとっくに飽きられている大相撲は、確実に秋の時代、いや冬の時代に突入したのではないか。
 相次ぐ不祥事に、またまた大麻問題。
 相撲協会理事長の椅子にしがみついて放さない人、あっさりと総理の椅子を放り出す人、世の中さまざまである。
 それにしても相撲協会という世界は、何と常識にない世界なのであろう。これで“国技”などと、よく恥ずかしくなく言えるものだ。そういえば皆、面の皮の厚い人ばかりだから、仕方ないか。
 これでも理事長が椅子にしがみつくのなら、財団法人の認可を取り消すより他なかろう。そうしてしっかり税金を払っていただこう。

 きょう九月七日は、二十四節気の一つ、白露山ならぬ白露である。
 陰気ようやく積もり、露凝(こご)りて白し――という時候で、「北斗は庚(かのえ=真西)を指すの節」と、古い暦書にある。
 白露は、わが国の時候にも合い、わかりやすいが、“しらつゆ”と読まれ、叙景句と思われた苦い経験がある。リズムに気をつけて句にすべき、としみじみ思った。
 雁が来たり、燕が帰るという時期で、置く露がしげくなるという時期でもある。

 大相撲の“ボケ茄子”ついでに、“秋茄子”について……。
 「親の意見と茄子(なすび)の花は、千に一つの無駄がない」という、教訓めいた都都逸がある。
 また、「秋茄子は嫁に喰わすな」という、何だか意地の悪い諺もある。
 真夏の頃の、次から次へ実が成って、日ごとに大きく成長する茄子とは違って、秋に入ってからの返り咲きの秋茄子は、成長が遅い代わりに、香りがよく、皮も薄くて味もよい、秋の味覚に欠かすことの出来ないものである。

 ここで他愛のない小咄を一つ。
   秋茄子は、香りがよく、たいそう美味いというので、毎日毎日煮て食べる母娘がいた。
  娘「かあさん、もう茄子はよしにして。飽きてしまった」
  母「なーに、お前が、秋茄子を喰うのは今年限り。たんと喰いやれ」
  娘「どうして?」
  母「来年は、嫁になるからさ」

 もっとも、学説によっては、秋茄子の成分に、若い女性の妊娠率を下げる作用があるから、それを気遣っての諺だ、ともいわれている。


      教材のひらがな まこと白露かな     季 己