壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

萩の花

2008年09月10日 23時00分05秒 | Weblog
        高円の 野辺の秋萩 この頃の
          あかとき露に 咲きにけむかも
 『萬葉集』巻八に見える、大伴家持の歌である。
 萩の花は、日本各地の山野に自生するほか、寺や庭園などにも植えられている。
 秋の七草の筆頭に数えられ、「萩」という日本製の漢字が作られたほど、昔から日本人に愛されてきた。古株から新芽を出す「生え芽(はえき)」が、その語源だという。

 初秋のころ、真白に咲きこぼれる白萩、つつましやかな紅紫色に、点々と秋の野の錦をつづる赤萩。朝露にしっとりと濡れて、頭重げに垂れている枝ぶり。
 万葉の昔から、こよなく萩の花を愛し、萩の花を讃えた数々の歌を残してきた。

        我が岡に さを鹿来鳴く 初萩の花
          妻問ひに 来鳴くさを鹿
 これも、『萬葉集』巻八に見える、大伴旅人の歌である。旅人は家持の父であった。萩の花と鹿と、和歌の世界では、切っても切れない縁の深いものであった。
 萩の花が次から次へ、次々に咲いては、ほろほろと散る秋の深まりとともに、妻を求める鹿の声が、峰から峰へこだまして、聞く人の涙を誘うのも、自然を愛する人にふさわしい秋の感傷であった。「鹿鳴草」と書いて、「はぎ」とさえ読ませたほどであった。

 清少納言も『枕草子』第六十四段に、
    萩、いと色深う、枝たをやかに咲きたるが、朝露に濡れて、なよなよと
   ひろごり伏したる、さを鹿の、分きて立ちならすらむも、心ことなり
 と述べて、和歌的世界において、萩がかもしだす情趣を余すところなく言い尽くしている。

        一つ家に遊女も寝たり萩と月     芭 蕉
 俳句の世界にあっても、萩は、また清らかな色めかしさを残している。

        黄昏や萩に鼬の高台寺     蕪 村
 京都の高台寺は萩の名所。そこへ鹿の代わりに鼬(いたち)を登場させた蕪村の句は、まさしく俳画の世界である。

 葉先の尖っていなく、穂の短い丸葉萩、茎が太くなる木萩などもあるが、やはり七草に数えられるのは山萩である。
 俳句では「萩」と総称して詠まれているが、みやま萩・つくし萩・にしき萩・みやぎの萩・黄萩など種類は多い。


      山萩のなだるるところ観世音     季 己