壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

柿喰ひながら

2008年09月26日 22時03分37秒 | Weblog
        別るゝや柿喰ひながら坂のうえ     惟 然

 この句は、『続猿蓑』の前書きに、「元禄七年の夏、ばせう翁の別れを見送り」とあり、『惟然坊句集』には、「翁の坂の下にて別るとて」とある。
 惟然は、晩年の芭蕉のそばからほとんど離れなかった。
 元禄七年(1694)閏五月に、芭蕉は嵯峨の落柿舎に滞在し、惟然も俳席を共にしている。
 六月中旬に、芭蕉が大津の無名庵に移ると、惟然は支考とともにそれに従った。
 七月上旬、芭蕉は、京桃花坊の去来宅に移ったが、故郷の兄半左衛門の便りで、中旬には伊賀に帰っている。

 この句はその頃のもので、惟然は、師とのしばしの別れを惜しんだ。
 句意は、芭蕉と柿をかじりながら坂の上まで見送ったものか、あるいは坂の上に立って、師の後姿を見送っているうちに、手にした柿を無心にほおばったのか、どちらにもとれる。
 「柿喰ひながら」という無造作ともみえる振舞いが、かえって師と弟子との親しみが自然にあふれ、また、初五の「別るゝや」で、惜別の情が強いひびきとなって心を打つ。

 惟然は、あまり季にはこだわらなかった。さきの『続猿蓑』には、「元禄七年の夏」とあるが、「柿」を季語とする秋の句としたほうがよいと思う。
 概して、世間に気兼ねしない思いのままの、俗気のないさっぱりとした表現が、惟然の句風の特色ともなっている。


      湯上りの母べつたりと富有柿     季 己