壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

ゆずり葉

2008年01月16日 23時29分27秒 | Weblog
       ゆ ず り 葉      河井 酔名


   子どもたちよ
   これはゆずり葉の木です
   このゆずり葉は
   新しい葉ができると
   入り代わって古い葉が落ちてしまうのです
   こんなに厚い葉、こんなに大きな葉でも
   新しい葉ができると無造作に落ちる
   新しい葉に命をゆずって――

   子どもたちよ
   お前たちは何を欲しがらないでも
   すべてのものがお前たちにゆずられるのです
   太陽の廻るかぎり
   ゆずられるものは絶えません

   輝ける大都会も
   そっくりお前たちがゆずり受けるのです
   読みきれないほどの書物も
   みんなお前たちの手に受け取るのです
   幸福なる子どもたちよ
   お前たちの手はまだ小さいけれど――

   世のお父さん、お母さんたちは
   何一つ持ってゆかない
   みんなおまえたちにゆずってゆくために
   いのちあるもの、よいもの、美しいものを
   一生懸命に造っています

   今、お前たちは気がつかないけれど
   ひとりでにいのちは延びる
   鳥のようにうたい
   花のように笑っている間に
   気がついてきます
   そしたら子どもたちよ
   もう一度、ゆずり葉の木の下に立って
   ゆずり葉を見るときが来るでしょう


 この詩の作者、河井酔名は、昭和40年1月17日、91歳で亡くなった。
 大阪・堺に生まれ、多くの詩人を育成し、口語詩の発展につくした。
 (“ゆずり葉”のもとの詩は、旧仮名遣い。また、酔名の“名”の字は、正しくはクサカンムリに名)

 ゆずり葉は、新しい葉が育ってから古い葉が譲って落ちていくので、この名がある。俳句では、新年の季語。
 父子相続の瑞祥とみて、新年の飾り物に用いる。正月、鏡餅に添える所もある。


      ゆづり葉や 書画のあしたを思案する    季 己

どんど焼き

2008年01月15日 23時36分20秒 | Weblog
 ユースホステルに復活の兆しがあると、今日の読売新聞夕刊「夕景時評」にあった。まことに喜ばしいことだ。
 わたしも会員歴、40年近く。ずいぶん長い間、お世話になっているものだ、と我ながら思う。

 今日、1月15日は小正月。以前は、成人の日でもあり、祝日であった。
 今から35年ほど前の1月15日、山梨の石和温泉ユースホステル(YH)に、お世話になった折、初めて“どんど焼き”の体験をさせてもらった。

 集落の、道祖神を祀ったところに、竹、わら、杉の葉などで小屋のようなものを作り、正月飾り、書初めなどと一緒に焼いた。
 書初めは、火勢により空高く舞い上がると、習字の腕が上がり、うまくなるという。
 繭玉団子を焼いて、その場で食べるのだが、よそ者の私にも、「もっと食え」とすすめてくれたことを、はっきり覚えている。
 このほかにも何か飾り付けたような気がするのだが、定かでない。

 “どんど焼き”は、新年の季語で、左義長、とんど焼き、どんど、とんど、吉書揚、飾焚く、などともいう。
 小正月を中心に行なわれる火祭りの行事で、家内安全、五穀豊穣、商売繁盛などを祈念するものであろう。
 どんど焼きで焼いた繭玉団子を食べると、虫歯にならないとか、病気にならないとか言われている。

 石和温泉YHは、四方を富士山や南アルプス、大菩薩連峰、秩父山塊などに囲まれた、美しい自然環境の中にある。 オープンは、1970年の6月。
 今は、二代目ペアレントさんが、
   「どこか懐かしい、どこかホッとする、どこか安心する、宿」
 をモットーに、精進努力されている、と聞く。
 先代のペアレントさん(ママさん)が、いつも、特別に作ってくださった“ほうとう”のおいしかったこと、今でも忘れられない。

 石和は、ご先祖の、戦国武将・武田信玄ゆかりの地。武田神社に参拝がてら、ママさんにぜひ、お会いしたいものだ。


      どんどの火ときに思ひのひるがへる     季 己
 

落款

2008年01月14日 23時47分22秒 | Weblog
 日本橋へ行く途中、成人式へ向かう新成人たちに出会う。
 茶髪に紋付袴、金髪に振袖のペアが、タバコの煙を吐きながら、堂々と歩いてゆく。

 高島屋で、「長くて(サンズイに秋)会」・日本画展を観る。
 日本画壇の長老・片岡球子氏を代表に、愛知県立芸術大学の教官と卒業生の作品を、一堂に紹介したものだ。
 教官7名、卒業生34名の作品が展示され、壮観で、なかなか見ごたえのある展覧会である。
 作家それぞれの、個性あふれる感性と研鑽のあとが見受けられる作品がある反面、誰かさんの真似ではないの?、と思われる作品もあった。それが教官の作品にも、だ。
 最も残念だったのは、落款が、あまりにも目立ちすぎ、「絵を観に来たのだ。落款を観に来たのではない」と、怒鳴りたくなった作品が、教官・卒業生に各1人ずついたことだ。これは、あくまで私個人の偏見ではあるが…。
 落款に真っ先に目が行った作品は、絶対に購入しない。作品の鑑賞を終え、「こんなところに落款があったのだ」と、気づく落款が好きだ。

 お金があったら買いたい、と思った作家は次の通り。(敬称略)
  教 官 : 秦 誠
  卒業生 : 荻原季美子  下川辰彦  阿部任宏  堀田淑支  大矢 亮 

 三越へゆく。「光陰 手塚雄二 日本画展」を観るためだ。
 手塚氏は、日本美術院同人、東京藝術大学教授。将来の日本画壇・重鎮を約束されたような方だ。
 確かに、膨大な時間がかかるであろう氏独自の技法と、緻密な画面構成には感心させられる。好みから言うと、やはり、一部作品の落款が…。

 「なんだか解らないが、すごい!」という作品には、なかなかお目にかかれないものだ。

 高島屋、三越ともに、陶芸・人間国宝の作品の展示販売を行なっていたが、“すごい!”のは、作品の値段だけであった。


    美しき道ひらきゆき真鱈たち    季 己

サンデー毎日

2008年01月13日 23時30分14秒 | Weblog
 久々の、一歩も外へ出ない一日。

 在職中は、日曜日もゆっくり休める日は少なかった。だから、ゆっくり休める日曜日があると、待ち遠しく、また、うれしいものであった。
 だが、サンデー毎日、つまり、毎日が日曜日のような現在は、日曜日が来ても全くうれしくない。“多忙”があるからこそ、“暇”が貴重で、有難かったのだ。

 篠笛のロングトーンを、1時間ほど練習する。人前でないので、一応、音が出ている。
 ここ2~3日、姿を見せなかった雀たちが、隣家の屋根に止まり、首をかしげてキョロキョロしている。雀も音楽が好きなのかもしれない。
 私の観察では、篠笛よりオカリナの方が、雀たちが喜んでくれているように思える。イヤ、私の篠笛が聞くに堪えない音、というのが真実であろう。

 昼過ぎ、テレビで「全国女子駅伝」を観る。
 スポーツはあまり好まないが、駅伝、マラソン、フィギュアスケートの三つは、テレビ観戦をよくする。
 京都が、大会新記録で優勝。心から“おめでとう”を言いたい。
 駅伝が終了したので、テレビを消す。
 この後は、大相撲初場所中継。大相撲は、いまは大嫌い。

 自室に戻り読書。
 「名画への旅・世紀末の夢」、「耳袋」、「荒川区史跡散歩」の3冊を、斜め読み。

  
      寒月のわが貧困をあたためぬ    季 己

篠笛

2008年01月12日 23時42分02秒 | Weblog
 冷たい雨の一日。
 昼ごろ、「今日から三連休!」と、中学生が三人、大声で通り過ぎて行く。
 篠笛の練習を、2時間ほどする。

 半年前から、近くのカルチャーセンターで、篠笛を習い始めた。60の手習いで恥ずかしかったが、思い切って入会した。
 将来、八ヶ岳の麓で日本の叙情歌を、地元のお祭りに江戸囃子を、吹くことを夢見て…。
 半年たっても、まだ音が出ない。あとから入会してきた方は、らくらくと音を出しているのに。
 篠笛は、音が安定するのに、だいたい1年くらいかかるというので、気長に、マイペースでやろう。
 怠け者の私は、頑張ることを好まない。楽しく、一所懸命することが好きだ。
 自分の部屋で吹くときは、けっこう音が出るようになったが、先生の前では音が出なくなってしまう。体がガチガチに緊張しているのが、自分でもよくわかる。
 “脱力感”が最も大切、ということは百も承知。だが、身体が全くわかってくれないのだ。

 今日が新年の初稽古。やはり私一人、音が出なかった。
 今年も先生には面倒をおかけするが、出来の悪い子ほどかわいいので、先生も楽しんで教えてくださるだろう。

 ベランダの梅の盆栽が、だいぶ芽を出してきた。勇ましくも、いじらしくも感じられる。
 ガラス戸をあけ、盆栽に声をかけた。「そんなに頑張らなくていいよ。楽しくやろうぜ」と。


       冬木の芽 一寸法師の見る夢は    季 己

内視鏡検査

2008年01月11日 21時30分22秒 | Weblog
 二ヶ月ぶりに、かかりつけのT内科・胃腸科クリニックへ行く。
 血圧と高脂血症の薬を出してもらうためだ。最初は、二週間に一度の通院であったが、今は、二ヶ月に一度の通院だから、非常に楽だ。

 このTクリニックは、一昨年5月の開院。開院当日、診察を受けた私は、4番目の客?である。
 ここのT先生は、内視鏡が専門。それが“かかりつけ”に選んだ、大きな理由である。我が家はガンの血統。私にガンがあって然るべきなのだ。
 早速、胃と大腸の内視鏡検査を受けた。やはりポリープが数個ずつあった。
 昨年また大腸検査をしてもらったが、このときは、立派なガンが摘出できた。
 胃も大腸も、内視鏡検査は非常に簡単である。うつらうつらしている間に、検査(手術)が終わり、2時間ほど休んで、20枚ぐらいの腸内の写真を見せられて説明を受ける。これですべて終了。痛くも痒くもなく、半日で終わるのだ。
 大腸ガン、胃ガンの心配な方は、ぜひ内視鏡検査を受けることをおすすめする。

 今年も、2月に大腸の検査をすることを、今日、決めてきた。胃の検査も、そのあと、日を改めて受けるつもりだ。

 二ヶ月といえば、私のもう一つのブログ「水の歌びと」を、二ヶ月以上も更新していない。
 実は、12月上旬に“投稿”したのだが、投稿したとたん、消失してしまったのだ。おそらく5,000字を超えてしまったからだと思うが、書き直す気力が失せてしまった。(いつも読んでくださる方、本当に申し訳ありません。ゴメンナサイ)
 年も改まったことだし、気分を改め、なるべく早く書いて更新しよう。


       寒月下 拳ほどいて眠らむか     季 己

謹慎を解く

2008年01月10日 20時48分51秒 | Weblog
 散歩がてら、氏神様の“すさのお神社”へ行く。
 「第14回 奥の細道矢立初めの俳句大会」の作品を届けるためだ。応募者が減ってきたので是非、ということで、昨年から参加したのであるが……。
 実は、第1回大会の当日句会には参加しているのだ、ひょんなことから。

 13年前の3月の最終日曜日のこと。
 すさのお神社に、たまたまお参りに来たところ、第1回大会の、当日句を募集していた。
 受付の前を通り過ぎようとしたとき、立派な身なりをした老紳士と、受付の人との会話が耳に入ってきた。老紳士を仮に、Aさんとしておこう。
 「Aさん、今日もあなたが一位ですなあ」
 「イヤー!」と、Aさんは右手をジャケットの襟にやり、ふんぞり返ったように見えた。
 Aさんの去った後、受付の人たちの話を、聞くともなしに聞いていた。
 それによると、Aさんは、関東一円の俳句大会を荒らしまわっており、Aさんが参加すると、たいてい一位、悪くても二位、だから今日もAさんが一位になるだろう、とのこと。
 「おもしろい、それなら一丁、勝負してやろうじゃないか」と、いやしい心を起こしてしまった。千円を支払い、投句用紙を受け取る。

 まず、季語を何にするか、辺りを見回す。桜が満開。これはみんなが作るからパス。木々の芽吹きが、命の輝きを感じさせてくれたので、季語を“木の芽晴”と決める。
 つぎに、俳句は挨拶でもあるので、すさのお神社に敬意を表し、復刻なった芭蕉句碑を題材にすることにした。
 最後に、選者の顔ぶれを見て、大方の選者の好みに合わせ、句意がすぐに解るように仕立てあげた。
 こうして、卑しい心根で作りあげた句が、狙い通り?に、一位になった。二位とダントツの差で。
 二位は、Aさんであった。このときの、Aさんのさびしそうな顔。
 心の底から、Aさんに申し訳ないことをしてしまった、と深く反省をした。Aさんにとっては、一位になることが、楽しみ、生きがいであっただろうに。それを無残にも奪い取ってしまったのだ。邪悪な心で。
 「もう二度と、“賞狙い”の句をつくるまい。この大会への参加をやめ、謹慎しよう」と、強く心に誓った。

 いまは、「俳句は、つくるものではなく、つぶやくもの。絵を描くように、歌うように」と、心に念じながら詠むのだが、駄句ばかり。
 季語と己が一体となった句が、生涯に一句でも詠めたら、思い残すことはない。

 謹慎を解いた昨年は、もちろん、念じて詠んだ句「蟻穴を出づるや前途三千里」を出したのだが、入賞はおろか、30位までの入選にも入らなかった。
 けれども、選者の一人、江東区俳句連盟会長・宮下玲華氏が、天賞(1位)に選んでくださったことには、感謝している。
 自分の句の理解者が、一人でもいるということは、何と心強いことか。


     ポケットにしまつておきし寒昴    季 己
 

源氏物語千年紀

2008年01月09日 21時20分57秒 | Weblog
 「源氏物語」は、“若菜”の帖が最も面白い。折口信夫氏は、「源氏は若菜から読めばいい」とまで言われている。

 「(若菜の帖は)上、下合わせて、一冊の本になる分量だけでも、紫式部がこの帖に力をそそいだ情熱が感じられる。筆つきにも作者自身の筆の弾み、心の弾みが感じられる」と、瀬戸内寂聴氏は、寂聴訳・「源氏物語」の解説に書いておられる。

 さて、ことし平成二十年、2008年は、源氏物語千年紀にあたる。ということで、京都をはじめ、さまざまな部署で記念事業、行事が計画されている。
 今年が、千年紀の節目にあたるということは、何に由来しているのだろうか。
 「紫式部日記」の寛弘五年(1008年)十一月一日の条(くだり)に、次のような記事が見える。

 「あなかしこ。このわたりに、わかむらさきやさぶらふ」とうかがひたまふ。
 源氏にかかるべき人もみえたまはぬに、かの上はまいていかでものしたまはむ
 と、聞きゐたり。

 藤原公任が、「源氏物語」の若紫の帖で登場した紫の上を若紫と呼び、紫式部を若紫になぞらえて、語りかけようとしたところである。
 この公任が紫式部に呼びかけたことばが根拠で、角田文衛先生などがおっしゃって、それが、だんだん広がっていったという。
 一昨年の十一月一日に、秋山虔、梅原猛、瀬戸内寂聴、千玄室、ドナルド・キーン、芳賀徹、村井康彦、冷泉貴実子などの各氏が、呼びかけ人になって、源氏物語千年紀をやりましょう、ということになった。

 今年、五月から六月にかけては「源氏物語大展」という、源氏物語の大きな展覧会を、源氏物語絵巻類の展示も含めて、京都文化博物館で進めている。
 二月に立川に移転する国文学研究資料館では、十月に「源氏物語特別展」という、重要文化財などを含めた源氏物語の資料を、展示する予定。

 源氏物語が出来てから後、文学作品に限っていうと、「更級日記」の作者・菅原孝標女が、「源氏物語」が出来てから2~30年もたたないうちに、熱烈な読者であったということが、知られる。
 おもしろいことに、孝標女が生まれた年がはっきりしていて、これが寛弘五年、つまり、1008年。まさに今年は、孝標女生誕千年ということになる。
 「源氏物語千年紀」は知られていても、「孝標女生誕千年」は知られていない。


      寒四郎 若菜上より 読み始む    季 己

 ※ 寒に入り四日目を寒四郎、九日目を寒九(かんく)と言う。

初薬師

2008年01月08日 16時37分17秒 | Weblog
 毎月8日は薬師如来の縁日。奈良・薬師寺では、毎月この日、白鳳伽藍金堂において、薬師縁日、大般若経転読が厳修される。
 ことに、1月8日は、初薬師として、多くの参詣者でにぎわう。
 薬師如来は、衆生の病や患いを救い、災難を除く如来といわれ、広く信仰されている。初薬師の参詣はとりわけ、ご利益があるという。
 薬師如来のご真言は、「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」なので、お薬師さんにお願いするときは、このご真言を唱えるとよい。

 旧作の拙句に、つぎのような変な句がある。

      おんにこにこにつこりそわか掛大根    季 己

 「おんにこにこにつこりそわか」は、ご真言のもじり。架に掛けられた大根が、冬の日を浴びて、にっこり笑っているように感じられたので、詠んだまで…。
 掛大根とは、冬の季語で、沢庵漬にするため、洗った大根を十本ぐらいずつ束ね、木や垣根、あるいは架を組んで掛け、干されたもの。“大根干す”ともいう。
 大根は清浄、淡白な味わいのある食物として、多くの人に好まれ、しかも、体内の毒素を中和して助ける働きがあるところから、聖天様の「お働き」をあらわすものとして尊ばれ、聖天様のご供養に欠かせないお供物とされている。
 そのお下がりの大根を頂く「大根まつり」が、昨日、東京・浅草の待乳山聖天で行われた。
 聖天様の徳を頂戴し、身体と心の健康を得るために、1974年より行われている正月行事だという。


     行末はあなたまかせの初薬師    季 己

 

直木賞候補

2008年01月07日 21時10分15秒 | Weblog
 第138回芥川賞・直木賞の候補作が発表された。
 今回は、“中国人初の芥川賞候補”ということで、楊逸(ヤンイー)さんの「ワンちゃん」が、話題になっている。
 けれども、変人は変人らしく、あまり話題になっていない?直木賞を、話題にしたい。

 今回の直木賞候補作品は、次の通り。
 井上荒野「ベーコン」(集英社)、黒川博行「悪果」(角川書店)、古処誠二「敵影」(新潮社)、桜庭一樹「私の男」(文芸春秋)、佐々木譲「警官の血」(新潮社)、馳星周「約束の地で」(集英社)。

 伊坂幸太郎の名がないのを見て、「またか…」と思う反面、少しホッとした。これで、もっともっと伊坂作品が読めるぞ、と思って。
 幸太郎さんは、生真面目な好青年なので、「直木賞をもらったら、どうしよう。プレッシャーで書けなくなってしまう」と、本気で悩んでいた、候補になるたびに。
 変人の私は、「そんなに悩むのなら、賞を辞退すれば…」、と単純に思ってしまう。でも辞退したら、ものすごく顰蹙を買うだろうな、「この若僧めが」と。

 幸太郎さんは、一番を好まない人だ。常に控えめで、ボクは、4~5番目ぐらいがちょうどいい、という人である。
 「ボクは、そんなに偉くはない」と言って、一昨年までは、大型書店で開かれるサイン会にも出なかった。今は、何か吹っ切れたのか、人間が出来てきたのか、サイン会には出るようになった。ファンサービスとして、これは必要であろう。

 ネットに、「直木賞 大衆選考会」というのがあり、“誰が直木賞を受賞すると思いますか?”といって、受賞者の予想を募集している。
 今回も、伊坂幸太郎の「ゴールデンスランバー」を推す人が多いが、幸か不幸か、今日の発表には、幸太郎さんの名前がない。
 もう、5回もノミネートされたのだから、直木賞は卒業しよう。今後は何ものにもとらわれず、書いて欲しい。「ゴールデンスランバー」が、直木賞を受賞できる、いや、それを超越した作品であることの証明である。
 賞の呪縛から解き放たれ、自分の書きたいものを、自分の書きたいように書けたのが、「ゴールデンスランバー」ではないか。私には、そう思えてならない。

 名誉などというものは、いくら数多く積み重ねても、崩れてしまうもの。
 幸太郎さんは、もう十分にかっこいいのだから、ダイヤモンドになろうとせず、五郎太石でいいから、大地にしっかり根を下ろした作家になって欲しい。


     五郎太にはごろたの春の光あり    季 己

「字書きの豊さん」の話

2008年01月06日 19時49分29秒 | Weblog
 「字書きの豊さん」は、人好き、話好きだ。
 商売?の表札・招き板の販売そっちのけで、誰彼つかまえては話しかけている。
 注文の表札を書き上げたあと、色紙に、私の干支「羊」一字を書いて、プレゼントしてくれた。さらに、もう一枚書いてくれるというので、このブログのタイトル「壺中日月」を書いていただいた。

 「字書きの豊さん」は、皇室の海外訪問・お土産用の風呂敷に、「楽」の一字を500枚書いたこともあるという。緊張はしたが、500通りの「楽」の字が書けて、楽しかったという。
 風呂敷は、どんな用途にも使えるので、外国人には特に喜ばれるそうだ。

 色紙をプレゼントされた手前?、聞き役に徹した。
そんな話の中で、特に感銘を受けた話があるので、次にそれを紹介しよう。


 字を書くことは人生訓だと、私は思っています。
 字を書くことは難しい、とよく言われますが、実は簡単なのです。コツは、三角形の中に、はみ出さないように書くこと。この、はみださないことが大切。
 私は三角形のマスを想定して、その中いっぱいに書くように心がけています。
 三角形は、マスに適度な空白、つまり、余裕ができるし、底辺が安定しているから、字体は縦でも横でも見栄えがいいんですね。
 四角形のマス目だと、空白が多くなりすぎ、これは無駄な空間になってしまいます。
 人にも同じことが言えると思うんです。
 無駄ではなくて余裕が必要です。
 いっぱい、いっぱいの力で取り組まれると、周囲の人は疲れますよね。
 親殺し、子殺しの事件が起きると、ぞっとします。
 今は、親子間の問題が、事件に発展する時代ですが、親に余裕がないから、子どもが抑えつけられちゃうのかも知れない。
 でもね、筆は生意気だから、ぐいぐい抑えつけ、いじめていじめて、いじめ抜いて、こちらの思う通りにさせないと、いかんのです。筆は、抑えつけられ、いじめぬられるのがうれしいのです。使わずに放っておくのが、一番いけない。
 私が、表札・招き板を書くのに使う筆は、ここにある二本だけ。毎日まいにち、私はこの二本の筆と格闘しているのです……。


 心にしみる「字書きの豊さん」の話である。

     春動くいぢめぬかれし筆二本     季 己

字書き職人

2008年01月05日 23時46分11秒 | Weblog
 「温もりと優しさがあふれる天然木に、テレビや雑誌でおなじみの豊口広が、その場でお書きします。(奈良・手書き表札)」というキャッチコピーに誘われ、池袋東武の「日本の職人100人展」に、出かけて行った。
 暮れの大掃除のとき、表札の汚れが気になったからだ。二十数年も玄関に掛けっぱなしになっていたのだから、汚れるのは当然であろう。
 けれども、「表札は玄関の顔、やはり取替えよう」、そう思って出かけたのだ。

 豊口広(とよぐち・こう)という名前は知らなくとも、思わず微笑んでしまうような独特の文字、たとえば、「日本盛」、「あさげ・ひるげ・ゆうげ」、「柿の葉寿司」(平宗)というラベルやパッケージの文字には、出会ったことがあると思う。
 豊口さんは、「書家」と呼ばれるのを嫌って、「字書き」と自称し続けているので、周りの人たちは、「字書きの豊さん」と呼んでいる。
 その「字書きの豊さん」は、独学で「楽書(らくしょ)」という、現在の書体を身につけたという。独特の丸味をおびた作風は、人をひきつける魅力がある。
 
 「木曽檜でお願いします」と注文すると、にっこり笑い、木曽檜に、筆で直接、文字を書く。人と人とが、まあるく笑顔でつながりあえたら…、そんな祈りを込めて。
 なるほど独学だ。筆をぐいぐい檜に押し付け、墨を木にねじ込んでいるような感じがする。
 仕上がった文字は、木の温もりに、筆のやわらかくて丸味をおびた大胆な字だ。思わずにっこりするような字ではあるが、その反面、“もっと頭を垂れよ”との、無言の教えとも感じられる字でもある。
 これで今年は、我が家の玄関先も明るくなり、「ようこそ」と笑顔で、来られる方を迎えられること、間違いなし。

      表札の 木の香墨の香 日脚伸ぶ     季 己

仕事始め

2008年01月04日 23時31分26秒 | Weblog
 今日1月4日は、多くの職場で「仕事始め」であろう。
 「仕事始め」は、俳句の季語にもなっていて、「初仕事」ともいう。
 角川春樹編の『現代俳句歳時記』には、つぎのようにある。

   各人が新年最初にそれぞれの仕事にたずさわることである。(中略)
   過去は一月二日と、十一日に仕事始めをする職場が多かったが最近では、
   四日と八日の仕事始めが多くなったようである。

 また「御用始め」という季語もある。
 これは、一月四日から始まる、諸官庁の事務始めのことだ。
 一般の職場などが、四日に仕事始めをするところが多くなったのは、おそらく「御用始め」の影響であろう。

 私の場合は、ずっと教育関係の仕事にたずさわってきたので、仕事始めは八日であった。八日が仕事始め、という職場は、ほとんど学校関係に違いない。

 今日、2ヶ月ぶりに『去来抄』を読み返した。
 『去来抄』は、芭蕉の高弟で、篤実な人柄と高雅な作風で知られる向井去来の著した、最も代表的な蕉風俳論書である。
 芭蕉生前の語録をかなり正確に伝えており、理論と実作の両面から蕉風俳論の本質を解明する鍵を与えてくれるものとして、信頼の置ける第一級の資料だ。
 俳句をつくる人たちに読まれ、作句の参考にされてこそ、この本を現代に蘇らせる、有効な読み方であると思う。

     「去来抄」読み解き仕事始めとす   季 己  

箱根駅伝 閉会式

2008年01月03日 21時52分56秒 | Weblog
 箱根駅伝は、往路2位の駒大が9区で逆転、3年ぶり6度目の総合優勝。2位に早大、3位に中央学院大が入った。

 早大・三輪をとらえた駒大・堺が、トップに立ったところで、早大を応援するために日本橋へ向かった。
 日本橋の橋の真ん中で、東海大の応援団に混じり、真前に陣取った。
 駒大・太田が、疾風の如く駆け抜け、しばらくして、早大・神沢が、目の前を通過、早大2位を確認し、一安心。

 今年は、3つの区間新記録と、3校の途中棄権の、新記録づくめ。
 3校の途中棄権は、今後の課題ではないか。プレッシャー論で片付けず、各校とも真剣に検討していただきたい。

 箱根駅伝・閉会式が、午後3時50分から東京ドームホテルで行われた。
 それに出席したので、その式次第をつぎに記す。

      第84回東京箱根間往復大学駅伝競走
            閉会式   式次第

 成績発表                  関東学生陸上競技連盟幹事長

 表  彰
  ・4位~10位入賞校
   賞状 トロフィー       関東学生陸上競技連盟副会長
  ・2位、3位入賞校
   賞状 トロフィー メダル   関東学生陸上競技連盟会長
  ・優勝校
   賞   状          関東学生陸上競技連盟会長
   優勝カップ          関東学生陸上競技連盟会長
   優勝旗            読売新聞グループ本社
   報知新聞社盾         報知新聞社
   日本テレビ杯         日本テレビ放送網株式会社
   特別協賛社賞         サッポロビール株式会社
   協賛社賞           ミズノ株式会社
   協賛社賞           敷島製パン株式会社
   協賛社賞           本田技研工業株式会社
   金メダル           関東学生陸上競技連盟会長
  ・復路優勝校
   賞状 トロフィー       関東学生陸上競技連盟会長
   トロフィー          読売新聞東京本社
   副   賞          名橋「日本橋」保存会会長
  ・区間賞(1区~10区)
   賞状 トロフィー       関東学生陸上競技連盟副会長
  ・最優秀選手賞    (※ 受賞者は、中央学院大・篠藤 淳)
   金栗四三杯          熊本県玉名郡和水町町長
  ・優勝監督賞
   金 杯            関東学生陸上競技連盟会長

 共催者祝辞            読売新聞グループ本社代表取締役社長
 主催者代表挨拶          関東学生陸上競技連盟会長
 閉会宣言             関東学生陸上競技連盟幹事長


                      (終了は、午後4時40分)


       垂乳根の母ゐるところ福寿草    季 己

感謝

2008年01月02日 23時29分55秒 | Weblog
 朝寝の後、箱根駅伝をテレビ観戦。
 また正月二日に、箱根駅伝が見られることを感謝。
 そのうえ、12年ぶりに早稲田大学が往路優勝したことも感謝、感激…。
 二枚看板を使い果たした明日は、総合5位以内に入ってくれれば満足だ。
 明日は例年のように、日本橋で応援するつもり。また、うれしいことに、午後3時50分から開かれる、箱根駅伝の閉会式・表彰式の招待状を入手できたので、非常に楽しみだ。
 
 午後3時過ぎに浅草寺に行ったが、あまりの人込みのため、お参りをあきらめ、日本橋三越へ行く。
 福袋を得意気に持って歩く、オバ様グループ?に出会う。
 福袋はあまり好きでない私は、たとえ、
     エルメスの中にエルメス福袋
 であっても買わないであろう。

 三越で、日本の職人「匠の技」展をのぞく。
 山形・飯野工芸の黒柿製茶筒に惚れ込んだ。黒柿自体も貴重だが、模様が何ともいえぬ、いい味をしている。珍重すべき茶筒だと思う。
 日本ヒスイ鉱業(糸魚川市)の武藤玄功さんから、ヒスイの見分け方などを、懇切丁寧に教えて頂く。感謝!
 透明感があり、ねっとりしているのだが、内から光を放っているようなヒスイが、一点あった。これも欲しいが、懐が風邪をひいているので、あきらめよう。
 10日まで開催しているというので、もう一度来て、全部を見て回ることにしよう、たとえ買えなくても。


      箒目は巫女の心か恵方道     季 己