壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

落款

2008年01月14日 23時47分22秒 | Weblog
 日本橋へ行く途中、成人式へ向かう新成人たちに出会う。
 茶髪に紋付袴、金髪に振袖のペアが、タバコの煙を吐きながら、堂々と歩いてゆく。

 高島屋で、「長くて(サンズイに秋)会」・日本画展を観る。
 日本画壇の長老・片岡球子氏を代表に、愛知県立芸術大学の教官と卒業生の作品を、一堂に紹介したものだ。
 教官7名、卒業生34名の作品が展示され、壮観で、なかなか見ごたえのある展覧会である。
 作家それぞれの、個性あふれる感性と研鑽のあとが見受けられる作品がある反面、誰かさんの真似ではないの?、と思われる作品もあった。それが教官の作品にも、だ。
 最も残念だったのは、落款が、あまりにも目立ちすぎ、「絵を観に来たのだ。落款を観に来たのではない」と、怒鳴りたくなった作品が、教官・卒業生に各1人ずついたことだ。これは、あくまで私個人の偏見ではあるが…。
 落款に真っ先に目が行った作品は、絶対に購入しない。作品の鑑賞を終え、「こんなところに落款があったのだ」と、気づく落款が好きだ。

 お金があったら買いたい、と思った作家は次の通り。(敬称略)
  教 官 : 秦 誠
  卒業生 : 荻原季美子  下川辰彦  阿部任宏  堀田淑支  大矢 亮 

 三越へゆく。「光陰 手塚雄二 日本画展」を観るためだ。
 手塚氏は、日本美術院同人、東京藝術大学教授。将来の日本画壇・重鎮を約束されたような方だ。
 確かに、膨大な時間がかかるであろう氏独自の技法と、緻密な画面構成には感心させられる。好みから言うと、やはり、一部作品の落款が…。

 「なんだか解らないが、すごい!」という作品には、なかなかお目にかかれないものだ。

 高島屋、三越ともに、陶芸・人間国宝の作品の展示販売を行なっていたが、“すごい!”のは、作品の値段だけであった。


    美しき道ひらきゆき真鱈たち    季 己