壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

面構

2008年01月22日 23時43分19秒 | Weblog
 日本画家の片岡球子さんが、103歳で亡くなった。
 2、3年前までは、院展の会場などで、車椅子に乗った片岡球子さんを、お見受けしたものだった。

 片岡さんは、小学校教諭、女子美大、愛知芸術大教授など、教育者でもあった。
ことに愛知芸術大では、長年にわたり主任教授として、後進の指導に当たられた。
 片岡さんの教育に対する情熱には、感服させられる。お住まいの藤沢から名古屋まで乗用車で通勤され、最後まで学生の教育に心から当たられた、と聞く。
 
 片岡さんの作品で最も好きなのは、昭和61年、第71回院展出品作、『面構(夢窓国師と天龍寺管長関牧翁大老師)』だ。
 初めてこの作品の前に立ったとき、しばらく動くことが出来なかった。そのうち画面の中から、何ともいえぬ“あたたかい気”が湧き出て、わたしの全身を優しく包み込んでくれた。

 「遅咲き…型破りの画風」と言われるように、肖像画の連作「面構」をライフワークと決めたのは、還暦を過ぎた頃だ。
 さまざまな資料を集め、厳密な人間考証をして、イメージを固め、大胆な色と形で描いた。そうして自己の芸境へのいっそうの沈潜が、「面構」を代表作にまで高めたのだ。

 日本画に限らず秀作の条件は、完成度と独自性という。
 若い頃の片岡さんは、その独自性が“ゲテモノ”扱いされ、“落選の神様”とまで言われた。
 血を吐くような辛酸と研鑽は、後に、雄渾にして装飾性をも備えた独自の人物画・「面構」、風景画・「富士山」に開花した。
 晩年の「めでたき富士」には、ひまわりと梅が共に咲き、なお燃えさかる生命力を宿していた。


      紅梅や己れ知りたる面構     季 己