快晴の白川郷、荻町合掌集落の背景に白山連山の稜線が浮かび上がり、絶景の日和。日本海側では、冬の季節風が終わると黄砂現象が強まり、視界不良に悩まされる。今冬は白川郷も豪雪に見舞われたが、3月に入り雪解けも加速して地肌も見えてきた。<白山御前峰から三方岩岳の稜線がクッキリと冴えて見えた><眼下の荻町合掌集落も春の兆しが見えてきた><ロータリ除雪車も大役を終えて休眠期に入る>
<五箇山の人形山にも、夕 . . . 本文を読む
今冬は年末年始の寒波から降雪に恵まれて、白山麓のスキー場も一時賑わいの様相を見せたが、コロナ・三密の影響から、施設運営関係者の「もてなし」も十分実らずだった。 食堂や宿泊施設の営業が震わず、関係者の落胆は計り知れないものがあったと思う。この先、スキー人口が減少を辿る傾向と自然現象の狭間で、生き残り策を追求したいもの。<正面-白山セイモアスキー場全景(3月9日撮影)><山麓の第一リフト乗り場-積雪も . . . 本文を読む
昨年は降雪が少がなく、年始を越えてからのスキー場オープンも稼働日数が少なく終わった。今年は昨年暮れからの寒波で、12月下旬から何処のスキー場もオープン、大勢のスキー客に期待を込めて準備を進めて来た。 ところが今回、コロナウイルスとかで三密が影響してか、客足は今一つ。冷たい空気感から、スキー場ではコロナウイルスと関係なく、マスクの着用は常識。下界での息が詰まる空気感から脱却して、高原の銀世界でマスク . . . 本文を読む
「過疎と廃村風景(その3)続」ここには「西俣キャンプ場」があって、広範囲な空間の中にオートキャンプ場もあり、アスレチックやディキャンプ・川遊び等森林浴が楽しめ、自然教室も備わってをり、特に夏場には子供達の歓声で賑わってきたことでしょう。背景に蓮如山(328m)や鷹落山(494m)が連なり森林浴歩道も整備されている。
<周囲を圧倒する杉の大木の下に戦没者の慰霊碑が佇んでいる><西俣集落の入口に立派 . . . 本文を読む
国道416号線-小松市街から梯川支流鄕谷川流域を遡ると、ここは西尾地区で西俣川が郷谷川に合流している。国道416号線から西俣川流域に交差する少し手前右端に立派な「戦死者慰霊碑」が、鎮座している。忠魂碑は、昭和10年に旧西尾村が建立したもので、日清・日露戦争から太平洋戦争に到る多くの戦没で、12町157柱の御魂が合祀されている。国道416号線の改修に伴い移築建立し、遺族会や社会福祉協議会で毎年慰霊法 . . . 本文を読む
手取川支流大日川ダム建設に伴って、湖底に沈んだ小原集落跡地を追った。訪れた平成2年12月は冬期にあたり、ダムの減水で湖面が下がり、小原集落跡地も地形から当時の面影を残す様相が垣間見えた。 小原集落の歴史は古く、言い伝えによれば養老2年(西暦換算718)に人が住み着いたと云われる。
集落の起源は、源平合戦の頃平家の残党が住み着き、小原の地名が付いたと伝えられる。その後、白山麓18ヶ村が幕府の天領地 . . . 本文を読む
手取川支流大日川流域の白山市鳥越地区(旧鳥越村)は、市町村合併の平成17年(2005)に総人口3千人余りの村だった。現在、手取川本流筋に12集落、大日川本流筋に11集落、支流堂川筋に4集落の27集落がある。明治40年(1907)に、別宮村・河野村・吉原村の合併により能美郡鳥越村が成立、人口は約6,800人。昭和24年(1949)石川郡に編入、人口は約5,800人。村役場があった別宮の中心部を国道 . . . 本文を読む
歴史街道を辿る(Part-6)続-国道416号線「越又峠(標高900m)」から勝山市横倉集落へ(標高差500m)連続Sカーブであるが、スピードを落として走ればドライブコースとしても面白い。 途中に大日山(通称兜山)から落ちる「八反滝」の案内板があり、徒歩5分程度歩けば見ることが出来る。<横倉集落地内に入ると、道路脇に「慰霊碑とふる里の歌」の石碑がある。 慰霊碑には昭和38年1月24日正午頃、道庭 . . . 本文を読む
(Part-5)続 国道416号-手取川支流大日川流域最後の新保集落を越え、渓流沿いに溯ると極端に狭い道路が続いたり、改修済みの道路が現れたり不安酷道が続く。やがて峠に近付くと、狭いながらも新しい道路が現れて、次々とカーブを登り切ると峠に着く。峠の名称は「新又越(しんまたごえ)」と呼ぶらしいが、この尾根筋には幾つかの山越え峠があり地元に馴染む名称も使われているようだ。 峠の標高は約900m、新保集 . . . 本文を読む
(Part-4)続 国道416号-小松市新保町は手取川支流、大日川上流域の山間地に位置した集落です。江戸期は白山麓18ヶ村の一つでした。寛文18年(1678)から幕府領になった。慶長3年(1598)検地では田1町9反余り、畑1町1反余り、元文元年(1736)の割付状には村高21石4斗余りとあり、雜木御林(御鷹巣山)が20ヶ所あって、年2回の巡見が行われた。 天保12年(1841)の家数は56戸で、 . . . 本文を読む