かなざわ風便り

変わり行く季節の中で、あの町この町で出会った風景や人情、イベントを訪ねて行きます。

歴史の坂道ー廣坂

2007年02月28日 | Weblog
「廣坂ひろさか」は、香林坊方向から小立野台へ登る幹線道路である。「坂道の幅が広いのでこの名で呼ばれているが、加賀藩時代から明治中頃までは安房殿坂、作事坂とも言われていた。」 . . . 本文を読む
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蕎麦打ち体験

2007年02月27日 | Weblog
蕎麦の里、福井県池田町の「ふるさと体験道場」で蕎麦打ちの初体験。今日27日、連れ7人で池田町の「ふるさと体験道場」を訪ねて今回は、自分たちで蕎麦粉から練って作り食べることにした。悪戦苦闘すること1時間、手助けを借りて出来上がった蕎麦、早速茹でて頂き食卓へ。麺は、太いところ細いところが混ざり、不揃いですが、食べてみると意外と歯ごたえが違って、皆さんが揃って、こんな蕎麦食べたことが無いと大満足でした。 . . . 本文を読む
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歴史の坂道ー大乗寺坂

2007年02月26日 | Weblog
「大乗寺坂だいじょうじざか」は、本多町3丁目(県立工業高校前)から厚生年金会館前に登る、130段の歩行者専用階段があった。「慶長から元禄年間に曹洞宗の古寺、大乗寺が坂下にあったので、この名で呼ばれている。同寺は、のちに長坂へ移転した。」「坂上からは、寺町台地長坂方向が眺望できる。」 . . . 本文を読む
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歴史の坂道ー新坂

2007年02月25日 | Weblog
「新坂しんさか」は、嫁坂と分岐する斜路で、小立野台へ登る車道となっている。「加賀藩前期、嫁坂の後に出来たのでこの名が付いた。昔は、小立野新坂、笠舞新坂とも呼ばれた。」 . . . 本文を読む
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歴史の坂道ー嫁坂

2007年02月24日 | Weblog
「嫁坂よめざか」は、本多町1丁目から小立野台(石引4丁目)へ登る90段の階段がある。「加賀藩初期、坂の上に住んでいた藩の重臣、篠原出羽神が、娘を本荘主場へ嫁がせるとき、付けた坂なのでこの名が付いた。」           「坂の上から」 . . . 本文を読む
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穂高連峰Part2

2007年02月23日 | Weblog
22日も、早朝から晴れ渡り、新穂高温泉に金沢から下道で、135km2時間40分で、7時前に着いた。新穂高ロープウエイの始発が8時30分であったので、ホテル穂高でコーヒーを飲みながら暖をとった。始発8時30分直前に、東京からの団体客を乗せた観光バスが到着し、満員の乗客を乗せロープウエイが西穂高口に向け上昇した。先日、16日の天候と打ってかわり、気温はー5℃風もなくて快晴、視界が360°で眺望には絶好 . . . 本文を読む
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歴史の坂道ー亀坂

2007年02月22日 | Weblog
「亀坂がめざか」は、善光寺坂から続く県道の終点間近。現在、谷になっていた低い所には、地下道のように暗渠になっており、小川沿いに民家が連なっていた。「加賀藩初期、この附近は深い谷であったが、戸室石を運ぶため埋めて、次第に坂の勾配を緩くした。がめ坂の名の由来は明らかでない。」   . . . 本文を読む
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歴史の坂道ー善光寺坂

2007年02月21日 | Weblog
「善光寺坂ぜんこうじざか」は、寺町台地から犀川を渡り、小立野台地へ抜ける一方通行の主要な県道である。「昔この附近に善光寺という寺があったので、今日でも、この名で呼ばれている。」 . . . 本文を読む
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歴史の坂道ー大瀧坂

2007年02月20日 | Weblog
「大瀧坂おおたきざか」は、犀川大通り(三口新町)から小立野台へ登る「自転車歩行者」専用通路です。「かつて、この坂の脇には、辰巳用水から田畑を潤す流れが、大きな滝のように流れ落ちていたことから、この名が付いた。」 . . . 本文を読む
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ドライブ

2007年02月19日 | Weblog
「ドライブ」早朝5時、金沢出発ーR157号線で福井県大野市へ。ここより、R158号線(美濃街道)を九頭竜湖へ、旧和泉村「箱ケ瀬橋」から湖を隔てて眺望できる「荒島岳」の雄大な風景を見ることが出来る。次に、油坂峠道路(長大なループトンネル橋)を越えて、美濃白鳥へ出る。R165号線を北上すること20分余りで、長良川の分水嶺「蛭ヶ野高原」の道路脇を流れ落ちる瀧に虹彩を放っていた。これより、荘川・高山を経て . . . 本文を読む
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