かなざわ風便り

変わり行く季節の中で、あの町この町で出会った風景や人情、イベントを訪ねて行きます。

歴史街道を辿る(Part-5)

2021年01月21日 | Weblog

(Part-4)続 国道416号-小松市新保町は手取川支流、大日川上流域の山間地に位置した集落です。
江戸期は白山麓18ヶ村の一つでした。寛文18年(1678)から幕府領になった。
慶長3年(1598)検地では田1町9反余り、畑1町1反余り、元文元年(1736)の割付状には村高21石4斗
余りとあり、雜木御林(御鷹巣山)が20ヶ所あって、年2回の巡見が行われた。
 天保12年(1841)の家数は56戸で、地元の童謡に「島の助五郎、尾添で弥四郎、五ヶで新保の太右衛門
さま」と歌われた草分けの春木家は、18ヶ村中の富農であり、明治初年まで奉公人7人、焼畑の請作40軒
ほど持っていたと云われる。
 明治5年(1872)石川県能美郡に属し、明治11年(1878)の家数120軒、人口631人で、明治22年(1889)
新丸村の大字、昭和31年(1956)小松市新保町になる。
 その後、過疎化が進み昭和42年(1967)の家数9軒、人口24人と減少した。

<村社-新保神社の境内は広く、管理が行き届いている>



<昭和御大典記念碑コーナーも備わる>

<石敷階段を上ると奥の院「菜神社」もある>

<国道昇格碑文も境内入口に建立されている>

<地元愛好家の別荘で、藏の中を改造して自作品に溢れていた>

<部屋の中央にテーブルを備えて、春になると渓流を眺めて岩魚や山菜料理が楽し
  めるとのことだった>

<真下を流れる渓流を眺め、一杯いいね~>

<渓流を右手に溯り、県境へと続く>

 

 

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