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かなざわ風便り

変わり行く季節の中で、あの町この町で出会った風景や人情、イベントを訪ねて行きます。

過疎と廃村風景(その2)

2021年01月27日 | Weblog

手取川支流大日川ダム建設に伴って、湖底に沈んだ小原集落跡地を追った。
訪れた平成2年12月は冬期にあたり、ダムの減水で湖面が下がり、小原集落跡地も地形から
当時の
面影を残す様相が垣間見えた。
 小原集落の歴史は古く、言い伝えによれば養老2年(西暦換算718)に人が住み着いたと云われる。

集落の起源は、源平合戦の頃平家の残党が住み着き、小原の地名が付いたと伝えられる。
その後、白山麓18ヶ村が幕府の天領地として保護されていたこともあり、明治22年市町村施行時に58戸
昭和31年小松市に編入時に38戸あった。
昭和33年11月14日、町民212名が離村式を行い、夫々の新天地へ旅立ち閉町となった。


<ダム湖左岸に、昭和41年に付け替えられた道路が曲がりくねって延びて行く>

<小原集落跡地上の入口付近に石碑があり「小原創始以来 観音勢至菩薩之跡」>

<眼下に集落を挟んで川が流れていたのでしょう>

<小原集落附近で、小川沿いに溯り大倉岳高原を越えて、旧尾小屋鉱山へ下る>



<右岸県道から対岸の小原集落跡地、手前真下から杖川からの分水路取り入れが>


<対岸にあった「観音勢至菩薩之跡」から移転してきたもので、建物内総ての板囲い
  に仏や彫刻が彫られている>


<湖底に消えて60数年、小原集落人々の故郷を偲ぶ癒やしの場所として休憩所が建つ>

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