牧師室だより 2012年9月30日 カルト宗教の見分け方
先週の新聞に「オウム真理教をめぐる一連の捜査が終結」と見出しにありました。地下鉄サリン事件から17年。日本人の多くに「宗教は怖い」というイメージを焼き付けたカルト宗教のオウム真理教。カルト宗教の横行により宗教への不信、警戒心が増してきたことは大変残念なことです。
怪しげな宗教の見分け方を教えます。怪しげな宗教とは、①献金・布施を強要する。すぐ金、金となる。②教祖なる人物がぜいたくな生活をしている。③教祖が××の生まれ変わりだという。④教えがクルクル変わる。
カルトかそうでないかの区別の基準を見てみよう。①人を閉じ込めるのか、解放するのか。②人を束縛するのか、人を自由にするのか。③人の目をくらませるのか、開かせるのか。④真理を押し付けるか、自分で考えさせるか。⑤人を画一化するのか、個々を尊重するのか。⑥人を傷つけるのか、人の傷を癒すのか。⑦人を頼らせるのか、人を自立させるのか。
要は人を生かすか、殺すか、あるいは人を自分に仕えさせて生きるのか、それとも人が生きるために自分が仕えるのかといった分岐点がカルトに向かうか否かの判断基準だと考えればいいでしょう。
地下鉄サリン事件の主犯格の被告は小学生の時、教会学校に通い、中学時代にはベトナム戦争の報道に触れて「正しく生きる」とは何かを考えたという。そして20歳の時実父を亡くし、「死」について思い巡らせ、大学卒業後は世界十数カ国を4年間かけて自分探しの旅に向かい、やがてオウムに入信する遍歴を法廷で語っています。
真面目なのです。それだけに痛ましい限りです。カルトにはまってしまったら、家族・友人の愛情が、教祖への愛情に勝るしか、解決の糸口はないと言われます。「人間はどんな偽りの愛にも、引きずられるほど愛に飢えている」(アウグスティヌス)。
(山北宣久著『福音と笑い これぞ福笑い』教文館 2004より引用)