牧師室だより 2019年3月3日 新聞拾い読み
毎日、新聞を読んでいて、時に考えさせる話題、励まされる記事、改めて知る内容、そして素敵な言葉に出会う。某日の新聞から拾い読み。「もう少し『金』曜日を減らし意識して自然と触れ合ったほうがいいんじゃないか」(本田亮「折々のことば」)。何のことかと首をひねった。「曜日の名はもっと自然に触れ合えと伝えている」と続く。なるほど、確かにそうだ。「月を見る、火をおこす、水と遊ぶ、木に触れる、土を踏む、陽光を浴びる」。「『金』を稼ぐばかりだと、心が乾いてしまうよと」忠告。その通りだとうなずく。
同じ日の「天声人語」に「あせらず、あわてず、あきらめず」は経営やスポーツの哲学としてしばしば聞く心構え、とあった。教会形成や牧会にも当てはまると思った。とにかく「あせる」が禁物。2千年の教会の歴史の中で今の現状を見つめる余裕を持ちたいと思った。
漫画家の里中満智子さんの「語る -人生の贈り物-」のコラムに、「ことばは男にとって第三の価値しかない。第二は行動、第一は生きる姿勢だ」とあった。漫画の登場人物に語らせた言葉だ。ちょっと待って、私はそうは考えない。私は人間の生きる上で大事なのは(第一なのは)「ことば」だと考えているからだ。「男は頭で考え、女は子宮で考える」と誰かが言った言葉があるが、確かに男は言葉で論理的に考える傾向がある。これも新聞記事に書いてあったが、小さな子が泣いていると、男性は近寄って「なぜ泣いているの、どうしたの?」とすぐ聞くが、女性はまず抱きしめて、よしよしをする、とあった。皆さんどう考えますか。
このように新聞は毎日、いろいろなことを考えさせてくれたり、教えられたりで、有意義で楽しい。と思っていると同じ日の投稿欄に高校教員からの次のような声があった。勤務先の定時制高校生に新聞を読んで欲しいと、一緒に「新聞読み方講座」に参加したら、生徒に変化があったという。「最初はやらされてる感があったが、しぶしぶでも読んでいると自分のためになっていることがわかった」と生徒の感想。そうでしょう。
そのとき、わたしは「ああ、かわいそう」と必死に慰めようとしましたが、ほかの2人は自分のことじゃないので、なんにも言いません。
ここに、キリストの命の少牌という十字架を思うのです。