牧師室だより 2019年3月10日 10年を振り返って ホームレス支援
10年前、平塚に赴任する時、許されるならばやりたいことの一つにホームレス支援があった。北九州にいた時、O先生(H教会)たちの活動をお手伝いしたかったが、何しろ新米の牧師で本業で手一杯、さらに園長という仕事も加わり、いくらもお手伝いできなかった。自分の中では消化不良というか中途半端な気分が残った。
平塚に赴任すると、前の牧師K先生もホームレス支援に関わっていて、教会もそれに協力していたと知り、少し落ち着いた7月に初めて平塚パトロールに参加した。当初、平塚は横浜、川崎についでホームレスが多く、100名前後だった。リーマン・ショック後の不況が大きく影響していたと思われる。その後、市の福祉事務所でも巡回パトロールを始めたり、済生会病院の院長たちが巡回診療を始めたりと官民一体となった取り組みが進み、現在は40名前後と減ってきている。
赴任した年の12月には生活困窮者の支援団体「サポーティングハウスひだまり」を平パトの仲間と作った。ホームレスから居宅設定するまでの住居としてアパートの一室を借り上げ、そこを拠点に食事会や生活相談、医療相談、そのうちDV被害者のシェルターとしても活用するようになった。利用者が多くて教会の教育館もシェルターとして利用することが度々あった。
追悼集会を7年前から始めた。最初は八幡山の旧横浜ゴム記念館で行っていたが、使い勝手が悪く、教会でするようになった。追悼者は現在28名にもなった。また平パトでは以前、教会の中庭で年2回程度、バーベキューの食事会をしていたが、それを定例にして月1回の炊き出しを始めた。始めたころは15名前後だったが、今は8~9名前後である。親しくなった元ホームレスの方たちに剪定、草取り、もちつきのお手伝いなど、ずいぶんお世話になった。
これらの活動を通して、さらに子ども食堂、フードバンク、学習支援の団体など多くの市民活動とも連携するようになった。多くの出会いと経験をさせてもらい、教会の中だけでは学べない貴重な10年間となった。感謝。
てんとう虫がきた
2星なら害虫
7星なら益虫
だけど両方とも生きている
害とか益とか
そーゆーのナシにして
生かした
殺さなかった
だって生きてるんだから
生かされてるのだから
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