牧師室だより 2009年12月27日 「共依存」から「共存在」へ
渡辺裕子先生(山形カウンセリングルーム)による「『共依存』を学ぶ」というカウンセリング講座がふじみ教会で行われた。月1回2時間の4回連続の講座。毎回、楽しみに参加した。大変有意義な学びをすることができた。
共依存の学びの目的は、自分の人間関係の持ち方を見直してみること。そのことによって人間関係(付き合い方)が楽になること。
「依存」といえば「アルコール依存症」が思い浮かぶが、アルコールに過度に依存することによって、自分自身の身体や人生、さらに身近な人間関係まで壊してしまうことになる。しかし、私たちはいろいろな人や物に依存して生きている。「共依存」そのものが悪いわけではない。幸福な共依存もある。たとえば恋愛関係の男女。共に相手にひきつけられ、求めあって幸せ。赤ちゃんは母親に完全に依存し安心しておっぱいを飲んでいる。母親はわが子の顔を見て喜びを感じる。
ここでいう「共依存」とは不幸なのに離れられない関係。母親がわが子に「あなたのため」と心配し続ける(過干渉、過保護)。これは愛情という名の支配である。妻がダメ夫に対して「私がいないとダメになる」と暴力をされても世話をし続ける。世話をやくことで自己の存在、価値を確認しているにすぎない。共に「あなたのため」と言われて、また言ってやってきたのになぜか息苦しい、安らぎが感じられない。この関係はいずれ行き詰る共依存。
共依存とは自分の問題を相手の問題にすり替えたり、相手の問題なのに、自分が解決しようとしたり、余計なお世話をしてしまうのが癖になっている状態。これを「誰の問題ですか?」「あなたの問題は何ですか?」と問うて、関係を「共存在」として一緒に生きるようにしなくてはならない。共存在として生きるためには、①非援助 ②タテ関係からヨコ関係にする ③アイメッセージで話す。アイ(私)メッセージとは「私は~思う」「私は~感じる」と言う話し方。④自分を楽しむ。
共に生きることを今後も考えていきたい。
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