牧師室だより 2011年7月17日 教会ってな~に?
今年度は「教会成長」について共に考えたいと願っています。そこで、教会って何だろうと原点に返って考えてみました。
以前、名刺を作った時に「平塚バプテスト協会」と間違えられたことがありました。その時気づいたのですが「協会」の「協」は十字架の横に力が三つ。主の十字架のもと、みんなが力を合わせるということでなかなかいいなと思ったのですが、やはり「教会」が正しいので、すぐ作り直してもらいました。
では「教会」は読んで字のごとく、教えるところでしょうか。教会はギリシア語でエクレシア(召し出す、呼び集めるの意)といいます。ですから「集会」と訳した方がいいかもしれません。教会は集いなのです。建物、組織である前に集いです。「教会の約束」に「教会は人によって成ったものではなく、神によって成ったもの」とありますように、招集するのは神ご自身です。教会は神に呼び集められた群れということになります。
また教会は「キリストの体」(コリントⅠ12:27)とありますから、教会を教会たらしめるもの、教会の主体はキリストです。その辺があいまいになると、教会はボスが横行したり、私物化が起きたりして、ひどいことになります。教会成長を妨げる原因の一つです。特に牧師、執事、長老格の人たちは要注意です。
では、「キリストの体」以外に聖書では教会をどのように表現しているのでしょうか。「神の神殿」(コリントⅠ3:16)、「天のエルサレム」(ガラテヤ4:26)、「真理の柱」(テモテⅠ3:15)、「信じた人々の群れ」(使徒4:32)、「神の家」(ヘブライ3:5)、「神のイスラエル」(ガラテヤ6:16)、「花嫁」(黙示録19:7-8)等々、多くあります。
最後に、聖書の中で教会をして聞くべき御言葉をいくつか紹介しましょう。「神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会」(使徒20:28)、「キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになった」(エフェソ5:25)、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」(マタイ16:18)。「イエスは主なり」の告白が教会の土台。これなくして教会は建たない。