(先週の説教要旨) 2011年7月10日 主日礼拝宣教 杉野省治牧師
「ピンチはチャンス」 使徒言行録25章1-12節
当時、イスラエルの国を統治していたのはローマ皇帝から派遣されていた総督だった。総督フェリクスの後任はフェストゥスであった。彼は有能なローマの役人であったらしく、着任すると、ただちにエルサレムに上った。祭司長や最高法院の議員たちは、再びこの機会をとらえて、パウロを殺そうという陰謀を図り始めた。彼らは、フェストゥスに、パウロをエルサレムに呼び出すように取り計らっていただきたいと、しきりに願ったが、フェストゥスが、この特別な要求に応じてくれないので、次に、彼らは、カイサリアまで訴え出て、正式な裁判を開く手続をとった。
エルサレムから下ってきたユダヤ人たちが、前回と同様(24:5-7)の罪状を申し立てた。①律法違反 ②神殿を汚す ③皇帝に対して騒乱罪。しかし、証拠となるものがなにもない。フェストゥスは、ユダヤ人の訴えが、事実に基づかない偽りのものであることをよく承知していたが、ユダヤ人たちの歓心を買おうと思って、「パウロさえよければ、エルサレムで裁判してもよいのだが」と、パウロの意思を聞いた。この質問こそ、パウロが長い間望んでいた、首都ローマ行きを実現させるきっかけになった問いだったのである。
パウロは、「ローマへ行って皇帝から、直接に裁きを受けたい」と、はっきり、力強く答えた。パウロの願いは、何としても、ローマに行き、キリストの福音を宣べ伝えることだったのである。パウロは、総督の交代の間2年間、獄につながれていた。しかし、今ここで見たように、総督の交代の時が来た。そのことが、新しい局面を開き、パウロが長年切望していた、ローマ行きが実現しようとしているのである。けれどもパウロは、全く思いもよらない仕方で、ローマに行くようになった。つまり未決の囚人として行くのである。パウロがローマ書の最初のところで書いているが、「ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです」(1:15)という願いが、今、達成されようとしている。祈りは聞かれた。しかし、それは全く別な形で聞かれたのである。扉が開かれる時、それは向こう側から開かれる。しかも、私たちの側には、何もないような仕方で開かれる。そうなると、もうパウロの計画ではない。まして初代教会の伝道計画などではない。ただ神の偉大な計画が行われているにほかならないと言えるだろう。「エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」(23:11、19:21、27:24参照)という神の必然(ご計画)が遂行されるためであったのである。
人生おいてピンチ、全く状況がよくない、もう駄目だと思うことがある。パウロはこのピンチを今皇帝に上訴するということで活路を見いだそうとする。そのことが、思いがけない形、未決の囚人としてではあるが、結果的に彼のローマ行きを約束するものになった。ピンチの時こそ、信仰がチャンスをつかむ時でもあるということではないだろうか。ここで教えられるのは、常に私たちの人生の背後に、神の愛の配慮、ご計画があると言うこと。しかし、私たちはそのことが分からない、気づくことの鈍い者である。私たちにできることは、きっとそこに神さまの深いお考えがあるということ、神さまは決して私たちを見はなさない、万事を益としてくださると信じること、神の愛に信頼して、願いを持って励むことである。その時にピンチがチャンスとなるであろう。