東海道の平塚宿は日本橋まで65㎞。
「お江戸日本橋」の民謡に「お江戸日本橋 七つ立ち」とある。「七つ」は今の午前3時から5時。暗いうちに旅立ち。続けて「高輪(たかなわ)夜あけて 提灯(ちょうちん)けす」とあるから、高輪あたりで夜が明けたということ。
となると、一泊目はどの宿が一般的だったのだろう。ものの本によると、江戸時代、男性で一日40㎞、女性で20~30㎞歩いたという。では、戸塚宿が一泊目となろう。歌の2番に「神奈川急いで 保土ヶ谷(ほどがや)へ」とあるから、この保土ヶ谷あたりで泊るか、次の戸塚か、というところだろう。
それにしても、昔の人はよく歩くものだ。松尾芭蕉の「奥の細道」で随伴した曽良の書き留めた『曽良旅日記』を読むと二人が驚異的な距離を歩いていることに驚かされる。そこから、「芭蕉隠密」説も生まれたと聞く。
「お江戸日本橋」の民謡に「お江戸日本橋 七つ立ち」とある。「七つ」は今の午前3時から5時。暗いうちに旅立ち。続けて「高輪(たかなわ)夜あけて 提灯(ちょうちん)けす」とあるから、高輪あたりで夜が明けたということ。
となると、一泊目はどの宿が一般的だったのだろう。ものの本によると、江戸時代、男性で一日40㎞、女性で20~30㎞歩いたという。では、戸塚宿が一泊目となろう。歌の2番に「神奈川急いで 保土ヶ谷(ほどがや)へ」とあるから、この保土ヶ谷あたりで泊るか、次の戸塚か、というところだろう。
それにしても、昔の人はよく歩くものだ。松尾芭蕉の「奥の細道」で随伴した曽良の書き留めた『曽良旅日記』を読むと二人が驚異的な距離を歩いていることに驚かされる。そこから、「芭蕉隠密」説も生まれたと聞く。