小 咄
2008-03-16 | ひと
米国発。
世界一の防衛国家。それは個人レベルでも徹底していて、
ホームセンターでは、銃のバーゲンセールをやっている。
あるとき、シカゴだったかデトロイトだったか・・・、
あるスーパーに、一人の貴婦人がピストルを買いにきた。
上客を相手に店員は、高級なピストルを並べながら、
やれ「これは6連発です」「もう一丁プレゼント」と。
客の貴婦人は、答えた。「私の夫は一人だけなのよ」
考えてみれば、この女性は、とても理性的である。
武器使用の目的は特定され限定されている。
必要な装備以上のものを欲していないという点で、
いわゆる「国防」も、このように合理的であれば、
兵器への財政支出が無制限に大きくなることはない。
トルコ発。
夜、ある家に泥棒が入った。目を覚ました家人が、
かちあった泥棒に、ていねいにお礼を言い出した。
「ほんとうにありがとう。心から敬意を表したい。
日中に、どこを探したって何も出てきやしない我が家、
金目のものを、夜に見つけてくれるとは大したものだ」
日本発。
勤勉に働いて価値を生み出す国民という資源しかなく、
一つ爆発すれば全土がほろびてしまう原発が多数ある
日本を、どこの国が、何を欲して攻めてくるというのか。
広辞苑でなくて「アァ辞苑」と名付ける日本語辞典を編纂中の
氏によれば、すでに“国防”の項目の説明はできあがっていて、
【国防】
国を操る企業に膨大な利益をもたらしつづける魔法の言葉。
というような小咄も聞いてきました。
「九条の会・かさま」が開いたアーサービナードさんの講演会。
→ 参考
あ、
講演の後の質問コーナーで、
「アメリカに行ったとき、そこここで星条旗を見た。
“愛国心”というものをどう考えるか」と会場から。
ビナードさん曰く、
たぶん星条旗の半分くらいは“made in China”。
その小さなタグに気がつくことから何かが始まる。
“アバタもエクボ”という言葉があるけれど、
“何が何でもエクボ”という強制は愛ではない。
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