気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

戦艦大和に思いを馳せ・辰野町・羅舜

2016-08-22 19:52:43 | 昭和レトロ
昨日、BSの六平直政さん(私の郵便局時代のお客様)の番組で、「戦艦大和」の特集をしていました。
それこそ、昭和20年4月7日のアメリカ軍による猛攻撃での大和撃沈が、生存者による証言で生々しく伝わって来ました。
私は、3年前に広島県呉市の大和ミュージアムにも行ったことがあります。
まあ、それからですね。戦艦大和に関心を寄せ始めた---のは。
皆さん、ご存知ですか?
戦艦大和が沈没した際に、大和と第二水雷戦隊(護衛している他の艦艇10隻)に乗船していた海軍の指揮官たちを。



序列順で示すと(天一号作戦当時)---、
No.1 第二艦隊司令長官 伊藤整一中将
No.2 第二水雷戦隊司令官 古村啓蔵少将
No.3 第二艦隊参謀長 森下信衛少将
No.4 「大和」艦長 有賀幸作大佐
No.5 「矢矧」艦長 原為一大佐
No.6 第21駆逐隊司令 小瀧久雄大佐
No.7 第17駆逐隊司令 新谷喜一大佐
No.8 第41駆逐隊司令 吉田正義大佐
になるそうです。

 
古村啓蔵少将  有賀幸作大和艦長


なんと、その内、No.2の第二水雷戦隊司令官・古村啓蔵少将と、No.4の大和艦長・有賀幸作大佐は、現在の辰野町の出身なのです。
しかも、両名とも諏訪中学校(現諏訪清陵高校)と、海軍兵学校45期卒。
(古村少将が本来1学年上ですが、病気留年しているため、有賀大佐と同期卒業)
凄いですよね。
大和最期の指揮官2名が、辰野町出身とは---。



そんな思いもあって、今日は辰野町で営業。
午後5時からは、いつもの「羅舜」で一休み。
カラオケ客が訪れるまでは、ママさんとゆっくり話せます。
アイスコーヒー(税込400円)を注文して、時事ネタで歓談。
出来たばかりの肉じゃがの味見を頼まれ、喜んで頂きました。
羅舜のこういうところが、ほのぼのとして好きです。
また来ますから。


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