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住みたい習志野

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今日はボトルシップ発見(1997年8月28日)から25年目

2022-08-28 09:32:45 | 俘虜収容所

習志野市でのボトルシップ発見から四半世紀

 

きょう8月28日は、習志野俘虜収容所にいたドイツ兵が残したボトルシップが発見されて25年になるということで、「ドイツ兵士の見たニッポン」の著者Hさんにインタビューしてみました(編集部)。

 

――ボトルシップが発見されて25年になるそうですね。

H: そうですね。平成9年(1997)8月28日のことでした。当時私は社会教育課の事務員だったのですが、ちょうど社会教育課の市史編さん室では市内の高齢者を訪ねて、昔の風習などにつき「民俗調査」というのを行っていました。その中でこの日、津田沼にお住まいの歌田實さんにお越しいただいてお話をうかがっていたところ、話が一段落した頃、歌田さんが、民俗調査とは関係ないけれど、わが家に昔から、こういうものがある、ということでボトルシップを見せてくださった。それで「お前も、ちょっと来てみろ」と私も編さん室に呼ばれて行ったのが最初でしたね。

――歌田家にはどうしてボトルシップが伝わったのでしょう?

H: ドイツ捕虜が習志野にいた大正の頃、歌田さんのお母さんは長作小学校の先生をなさっていたそうです。そこである日、収容所を見学に行こうということになり、子供らを連れて収容所に行った。ドイツ兵も子供らを見て喜び、言葉は通じないものの遊んでくれた。そして帰る段になったら、ドイツ兵がおいで、おいでをして、ボトルシップを一本くれた。それが先生の家に伝わった、ということなんですね。びんの中にどうやって船の模型を入れたのだろうと、子供らは大喜びだったそうです。

――作ったドイツ兵の名前などは伝わっていないのですか?

H: 残念ながら作者の名前は書かれていません。ただ、3本マストの外洋船なのに、後ろにはドイツの湖水やアルプス、お城の塔が見えるんですね。こういう船に乗って、早く故郷に帰りたいなぁというメッセージなんでしょう。

   とにかく、これで初めて、習志野のドイツ兵が残した具体的な遺品が見えてきたわけです。なにしろ『習志野市史』は、通史編というのがその2年前、平成7年に出たばかりだったのですが、ドイツ兵については“昔のことで、今となってはよくわからない”と匙を投げています。しかし、こうしてボトルシップが出てきた以上、よくわからないでは済まなくなってしまいました。

   歌田さんと入れ替わるように8月31日には、福岡県久留米市の教育委員会から職員の方が来訪されました。久留米にもドイツ兵がいたのですが、その史料展を企画しており調査のために東京まで来た。ついでに習志野収容所の状況を聞きに来た、というお話でした。そして、よくわからないどころか、ドイツ側にはかなりの記録が残っているよと、久留米さんからいろいろ情報を教えてもらったわけです。そして、私がちょっとドイツ語が出来たもので、ドイツにいる数人のコレクターに連絡を取って史料を取り寄せてみたところ、実にいろいろなことがわかってきた。捕虜オーケストラなども、有名な板東収容所(徳島県鳴門市)では許されたものの、習志野あたりでは許されなかったのではないか、と思われたのですが、どうして、どうして。立派な「習志野捕虜オーケストラ」があったことがわかってきました。これは大変だ、ということで調査を始めて、史料展として世に示せたのは平成12年でしたかね。

――ということは、歌田さんがボトルシップを持ち込まれなかったら、この歴史は「よくわからない」で消えてしまったかも知れないわけですね。

H: そうですね。実際、その後25年経って、今ではドイツ側の子孫だとかコレクターもだいぶ亡くなってしまいましたから、あの時調べなかったら、もうわからなくなっていたでしょうね。

――いちばん苦労されたところは何でしょう?

H: 調査をする予算をもらうにも、まず取り寄せた史料を解読して、こんなことが書いてあるから本格調査が必要だと上司に訴えなければならないわけですね。ところが、当時の手紙とか日記などは、ドイツ語はドイツ語ですが、文字が違うのです。

――ローマ字ではないんですか?

H: ドイツ文字というのがあるんですね。

   これがドイツ文字なんですが、通称亀の子文字とかひげ文字といって、今でもよくワインのラベルとかお菓子の箱なんかで見かけると思います。当時のドイツ語は、新聞でも小説本でも、みんなこれで印刷されていました。

   そして、このドイツ文字の筆記体というのがあるんですね。これはドイチュラント、ドイツ国と書いてあるのですが、上からローマ字、ドイツ文字、そしてドイツ文字の筆記体です。

手紙や日記といった手書きの史料は、みんなこれで書いてある。ローマ字とはだいぶ様子が違いますね。ドイツでもヒトラーの時代には、このドイツ文字をやめてローマ字を使うようになったそうですから、それより若い世代は読めません。ちょうど我々が、江戸時代のくずし字の手紙を読もうというようなものですね。

   年配のドイツ人女性に教えてもらいながら、何とかこれを読んで活字体にして、それを日本語に翻訳する。そして、こんな面白いことが書いてあるから、ぜひ本格調査をやらせてくれ、史料展をやらせてくれと役所の上司を説得しなければならない。お金が付かなければ、誰かに何かを頼むもなにも、まるで始まらないわけですから。

――これはかなり特殊技術ですねぇ。

H: 今ではドイツでも、AIで解読する技術など開発されているようですが、25年前にはそんなものありませんからね。書き順を覚えて、こんな言葉があるのかなと独和辞典を見比べながら、なんとか書き起こしていくわけですね。個人の書きぐせも出てきます。

   これなんか、何て書いてあるかわかりますか?

――いや、まるで読めませんね。

H: ミリエスの楽譜です。Schließe mir die Augen beide(シュリーセ ミア ディー アウゲン バイデ)と書いてあるんですね。「閉じておくれ、僕の眼を」という曲のタイトルです。

「閉じておくれ僕の眼を」は習志野ドイツ人俘虜収容所で作曲された - 住みたい習志野

習志野収容所で作られた曲「閉じておくれ…」を県立津田沼高オケが演奏。「習志野の宝に」 - 住みたい習志野

   こんな仕事に追われた結果、平成12年に資料展を開き、その図録を基に「ドイツ兵士の見たニッポン」という本も公刊したのですが、今でも、習志野にドイツ兵がいたなんて初めて聞いたとか、日本がドイツと戦争したなんてウソだろう、学校で習わなかったという方がたくさんおられるようです。特に、先祖代々習志野に暮らしてきたという方は、死んだ親父もじいさんも、こんな話はしていなかった。本当なのか、という疑いが強いようです。大切な郷土の歴史、ドイツとの国際交流、大事にする習志野市の姿勢が求められますね。本も2千部あまりで絶版にされてしまいましたので、今、古本でネット検索すると、とんでもない値段がついていますよ(笑)。

(定価1800円のこの本、今amazonでは一番安値で5270円になっています)

――ところで、ボトルシップは現在、どこで見られるのでしょう?
  ボトルシップは市役所5階の市史編さん室に保管しているので、見たかったら社会教育課(047-453-9382)に申請を出さなければいけないようです。ドイツ兵は、習志野の子どもらに、と言って残していってくれたはずなのに…
 他の市にはある「郷土資料館」が習志野市にはないので、市民が郷土の歴史に接する機会が限られています。ボトルシップもそうですが、せめて子どもたちや市民の方たちがいつでも見られるように、どこかに展示してもらえれば、市民の方たちにも喜ばれるでしょうね。

――このドイツ人捕虜収容所の歴史、とても面白いのに、習志野市の学校では教えていないようです。貴重な歴史なのに、もったいないですね。ありがとうございました。(了)

 

瓶詰細工(びんづめざいく)=ボトルシップの由来。妻の手紙で一念発起、技術みがいたドイツ魂 - 住みたい習志野

習志野歴史散歩(番外編):習志野市に郷土資料館はないけれど… - 住みたい習志野

永久保存版?郷土の歴史はこんなに面白い。「住みたい習志野」の歴史記事アーカイブ - 住みたい習志野

習志野「ドイツ人捕虜オーケストラの碑」秘話:オクセンドルフ夫人の大活躍 - 住みたい習志野

 

(ボトルシップなどの展示が行われたときの東京新聞の記事)

ドイツ人捕虜の生活たどる 第1次大戦時、習志野で収容 ボトルシップ、写真など200点展示:東京新聞 TOKYO Web

ドイツ人捕虜の生活たどる 第1次大戦時、習志野で収容 ボトルシップ、写真など200点展示:東京新聞 TOKYO Web

第1次大戦時、習志野市内に開設された「習志野俘虜(ふりょ)収容所」の資料を紹介する展示会が26日まで、市役所1階展示コーナーとグランド...

東京新聞 TOKYO Web

 

京成津田沼駅前クレストホテルで行われた「ドイツ兵士の見たNARASHINO」特別資料展図録

特別資料展に寄せられたドイツ大使館からのメッセージ

習志野ドイツ人捕虜たちのオーケストラ

当時のコンサートのパンフレット

習志野ドイツ人捕虜収容所にいた著名な指揮者・演奏家、ハンス・ミリエスさん。彼が習志野で作曲した「閉じておくれ、僕の眼を」という曲、今も習志野市で歌い継がれています。

収容所には軽音楽バンドもありました。

 

 

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「上海オーケストラ物語」という本に書かれたハンス・ミリエス(習志野収容所オーケストラ指揮者)

2022-02-25 00:30:16 | 俘虜収容所

習志野ドイツ人俘虜収容所でハンス・ミリエス氏によって作曲された「閉じておくれ、僕の眼を」については、このブログでも何回かご紹介しました。

津田沼高校オーケストラの「閉じておくれ、僕の眼を」you tubeで見られます - 住みたい習志野

新刊紹介:習志野ドイツ人俘虜収容所も出て来る「音楽と越境」 - 住みたい習志野

そのハンス・ミリエス氏の生涯が書かれた「上海オーケストラ物語」という本があります。

「上海オーケストラ物語」という本に書かれたハンス・ミリエス


「上海オーケストラ物語」第3章の5
楽長ミリエスの音楽人生 から抜粋

習志野俘虜収容所で過ごしたハンス・ミリエスについては、エンゲル(徳島、板東収容所のオーケストラ指揮者)よりもっと具体的な事実が明らかになった。習志野市教育委員会では、市史編纂事業の一環として調査を進めたところ、ミリエスの子息がドイツに健在であることを突き止め、その証言によって、ミリエスの上海時代、また収容所での活動がわかってきた。その成果は『ドイツ兵士の見たニッポン 習志野俘虜収容所1915〜1920』にまとめられている。
(注:当時習志野市職員だった、在野の歴史研究者、星昌幸さんが、ドイツのご遺族などともやりとりしながら収容所の歴史を丹念に発掘し、執筆したこの本。このブログの以下の記事でもご紹介しました)

習志野から消される?ドイツ人捕虜収容所の歴史(菩提樹、聞き書き民話、西郷寅太郎) - 住みたい習志野

 同書および習志野市教育委員会の教示によると、ハンス・ミリエスは1883年にダーゲビュルで牧師の子として生まれ、ベルリン音楽大学でヴァイオリンを学んだ。1910年10月に上海パブリックバンドのコンサートマスター兼副指揮者となり、指揮者ブックからは後継者と目されていた。しかし1914年、青島防衛戦で従軍し、日本軍の捕虜となる。まず福岡、そして習志野俘虜収容所で1919年まで過ごし、オーケストラを組織したり、カルテットを組んだりして盛んに演奏を行った。ドイツに帰国後はキール市交響楽団のコンサートマスターになった。この頃、若き日のフルトヴェングラーがリューベックで過ごしており、ミリエスは彼の指揮の元で演奏したこともあるという。

 ミリエスが率いる捕虜オーケストラは、最盛期で60名近くのメンバーがいたようで、子息ハンス氏が所有する写真には、指揮台に立つミリエスの堂々たる姿がある。

ミリエスはほかにも弦楽四重奏団を組織し、第一ヴァイオリンを弾く時はさらに本領を発揮したようだ。

 習志野収容所にはミリエスのほか、弦楽四重奏団で第二ヴァイオリンを弾いていたヴォストマンや、合唱団の指揮をしていたヴェルダーがおり、音楽活動の中心となっていた。今日確認されている演奏会プログラムによると、演奏会ではハイドンやモーツァルト、シューベルトなどの弦楽四重奏曲、ベートーヴェンやメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が演奏されただけでなく、ミリエス自作の歌曲も披露された。習志野収容所にはオーケストラと呼ばれるものは一つしかなかったようだが、その志向するところは、捕虜の日記からもわかるように、かなり芸術性が高かったようだ。板東収容所でいくつもの楽団が多くの演奏会を開く中、相当数のポピュラーな曲目(行進曲、オペラ・オペレッタからの抜粋など)を演奏していたのとはだいぶ状況が異なる。習志野の音楽的雰囲気は、ミリエス自身の音楽性を反映しているのだろう。

 1917年10月31日、ルターの宗教改革400年を記念する音楽会では、ミリエス率いるオーケストラによってベートーヴェンの交響曲第五番「運命」が演奏された。

 ベートーヴェンの「運命」は、同年3月4日に、久留米収容所でフォークト指揮のオーケストラが演奏したのが「日本初演」とされる。習志野での演奏はそれに遅れること半年余りであり、翌1918年4月には、板東のエンゲル・オーケストラが演奏している。

 捕虜たちが演奏に使用した楽器は、基本的に自分のものを取り寄せていたようだ。ミリエスの子息ハンス氏の証言によれば、「上海の友人たち」から楽譜が送られてきたというから、楽器もまた上海から送ってもらったのだろう。また収容所内にはヴァイオリン工房があり、かなり質の高い物が作られていた。収容所の監督はこれを見て、外部で販売して捕虜に小遣い稼ぎをさせてやろうとさえ考えたらしい。さらに1916年頃には、シカゴやネブラスカのドイツ系アメリカ人から、慰問品として楽器が届いたという記録があり、不遇の時にこそ音楽をというドイツ人共通の思いを知ることができる。

 収容所での生活が物質的にかなり恵まれているように見え、外部とのやりとりも比較的自由だったように思われるのは、習志野収容所所長西郷寅太郎(西郷隆盛の長男)にドイツ留学の経験があり、ドイツ人の生活に理解があったことなどが背景にある。

(注:西郷寅太郎の生涯をたどったテレビ番組について、このブログでご紹介しました)

テレビで西郷寅太郎(西郷隆盛の息子で習志野ドイツ人俘虜収容所長)の生涯を紹介 - 住みたい習志野

しかし青島のドイツ軍の降伏から第一次大戦終結まで丸4年、最後の捕虜が帰国の途に付くまでさらに一年かかるなど、先の見えない収容所生活は捕虜たちの精神を圧迫しただろう。1918年秋からは悪性のインフルエンザ(いわゆる「スペイン風邪」)も流行し、西郷所長のほか25名の捕虜が犠牲になるなど、生命の危険にも脅かされた。このような生活は、ミリエスのような芸術家にとって生涯忘れえない過酷な体験だったと思われる。ミリエスのその後の音楽人生をたどってみた時、習志野の日々が彼の芸術性、そして人間性に多大な影響を与えたであろうことは疑いがない。

(ミリエスさんを紹介したドイツ語のサイト「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州と日本」:シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州はミリエスさんの出身地です)

http://www.schleswig-holstein-und-japan.de/hans-millies.html

(ミリエスさんのお墓)

(ミリエスさんの習志野でのコンサートのプログラム、東京の「ドイツ日本研究所」の「板東コレクション」でご覧になれます)

https://bando.dijtokyo.org/?page=object_detail.php&p_id=247&lang=ja

(ドイツ語のプログラムに、「ドイツ兵士の見たニッポン」の著者、星昌幸さんが和訳をつけ、演奏された曲についても解説してくれました)

Konzert von HANS MILLIES

unter gütiger Mitwirkung der Herren

Major von Wedel

Lt. z.S. Heimendahl

A.  Wälder

Sonntag, den 9. März 1919

Abends 6 Uhr

Oesterreichische Korporalschaft

ハンス・ミリエス・コンサート

次の方々の賛助協力の下に

フォン・ヴェーデル少佐

ハイメンダール海軍少尉

A. ヴェルダー氏

1919年3月9日、日曜日

夜6時から

オーストリア分隊

Programm

1. v. Beethoven

Op.61 Violinkonzert D-dur

  1.Allegro ma non troppo

  2.Larghetto

  3.Rondo

     Cadencen von J. Joachim

  am Klavier: Lt. z.S. Heimendahl

2.  Saint-Saëns

Op.28 Introduction et Rondo capriccioso

  am Klavier: Alfons Wälder

3. R. Schumann: Träumerei

4. Schubert –Wilhelmj: Ave Maria

5. P. de Sarasate

  Op.20 Zigeunerweisen

  am Klavier: Major von Wedel

演 目

1. ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲 作品61

  1.アレグロ・マ・ノン・トロッポ

  2.ラルゲット

  3.ロンド

     カデンツァはヨアヒム

    ピアノ伴奏:ハイメンダール海軍少尉

2.  サン・サーンス 序奏とロンド・カプリチオーソ 作品28

  ピアノ伴奏:アルフォンス・ヴェルダー氏

3.シューマン トロイメライ

4. シューベルト(ヴィルヘルミ編曲) アヴェ・マリア

5.サラサーテ ツィゴイネルワイゼン 作品20

    ピアノ伴奏:フォン・ヴェーデル少佐

 

カデンツァというのは、曲を止めて、独奏者が名人芸を披露する場面のことですが、それを即興でやる人もいるし、有名な人が作ったものを使う人もいる。この場合は大ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムが作ったものを使った、ということです。ヨアヒムはミリエスの先生。ブラームスの友人としても知られる人です。
「序奏とロンド・カプリチオーソ」というのは、先日、フィギュアで羽生選手が踊っていましたね。


演奏曲、全部YouTubeで聴くことができます。
ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲


序奏とロンド・カプリチオーソ


トロイメライ


アヴェマリア


ツィゴイネルワイゼン

先日のスクールオーケストラに関する慶大の論文に、捕虜の音楽が「音楽のまち」の礎石になった、とありましたが、これはそれに値するプログラムでしょうね。

➀100年前からオーケストラに親しんだ習志野市➁軍都ならしのに資料館(読者投稿) - 住みたい習志野

 

 

 

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津田沼高校オーケストラの「閉じておくれ、僕の眼を」you tubeで見られます

2022-02-02 18:09:48 | 俘虜収容所

津田沼高校オーケストラの演奏が動画で見られます

「全日本高等学校オーケストラ連盟」のホームページ

全日本高等学校オーケストラ連盟 (nippon-seinenkan.or.jp)

に、以下のようなお知らせが載りました。

本日(2/1)より第28回全国高等学校選抜オーケストラフェスタが開幕します。約1ヶ月間に渡り全国76校3634名の生徒が演奏をお互いに鑑賞しメッセージを送り合います。今回は選抜オケと学校から許可が得られた演奏のみ一般公開しておりますので下記リンクからどうぞ

【一般公開】第28回全国高等学校選抜オーケストラフェスタ (オンライン開催)

 

 

習志野収容所で作られた曲を県立津田沼高校オーケストラが演奏

その中で、昨年末日本青年館で行われたオーケストラフェスタでの、県立津田沼高校オーケストラ(指揮:山岡健先生)の演奏が動画で公開されています。
生徒さんが習志野市の紹介や、演奏する曲の紹介を行っています。

こんにちは!  

私たちは、千葉県立津田沼高等学校オーケストラ部です。通称、沼オケです。  

千葉県立津田沼高校は1978年に習志野市に開校された全日制高校です。かもめやサギなどの水鳥が一年を通して見られる谷津干潟がすぐとなりにあり、校舎からの景色も美しく、天気の良い日は富士山も見ることができます。  

全生徒数は988名、県内唯一の音楽コースが設置されており、プロ演奏家として活躍している卒業生も多数います。  

オーケストラ部員は、現在2年生14名、1年生16名の計30名と少ないのですが、明るい顧問の山岡先生の元で毎日楽しく活動をしています。
(中略)

2曲目の「閉じておくれ、僕の眼を」は、103年前、第一次世界大戦中にドイツ兵捕虜となったハンス・ミリエスが作曲した歌曲で、収容所内でも演奏された記録が残っています。今回はオーケストラ演奏でお送りいたします。

3分ぐらいから モーツァルト/歌劇《魔笛》より序曲

10分34秒からハンス・ミリエス/閉じておくれ、僕の眼を

なお、「閉じておくれ、僕の眼を」は津田沼高校の生徒さんが紹介したように習志野収容所で作曲された曲ですが、もう一つの演奏曲「魔笛」も習志野収容所で、大正8年(1919)3月30日の「第4回コンサート」(指揮:アスペック氏)で演奏されたそうです。

その時のプログラムがこれ

 

(こちらの記事もご覧ください)

津田沼高校オーケストラが「閉じておくれ…」など演奏(読売新聞) - 住みたい習志野

 

 

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新刊紹介:習志野ドイツ人俘虜収容所も出て来る「音楽と越境」

2022-01-30 01:47:26 | 俘虜収容所

習志野ドイツ人俘虜収容所も出て来る「音楽と越境」

「音楽と越境 8つの視点が拓く音楽研究の地平」(音楽之友社)という本が出版されました。

音楽と越境 - 音楽之友社

 

この本の中に「引用文献」として紹介されている「ドイツ兵士の見たニッポン」

の著者、星正幸さんが、この「音楽と越境」という本の紹介をしてくれました。

(著者のお一人、七條めぐみさんから、この本が星さんに寄贈されてきたそうです。)

新刊紹介 星昌幸

音楽に国境なし、とはいうものの、実際には異文化の壁は大きい。それを越境し受容されていく音楽というものの姿を、8人の音楽学者が考察した論考集です。今日はこの本に収められた七條めぐみ「大正時代の日本におけるドイツ兵俘虜の音楽活動 -「俘虜楽団」の目指した音楽実践-」という論考をご紹介したいと思います。

 習志野収容所にいたドイツ俘虜の音楽については、既にこのブログでも何回も取り上げられています。また、徳島県鳴門市にあった板東俘虜収容所のオーケストラがベートーヴェンの「第九」を本邦初演したという話は、映画にもなってよく知られています。当時、日本には6つの収容所(習志野、名古屋、青野ヶ原、板東、似島、久留米)があり、それぞれにオーケストラや合唱団があって音楽活動が行われていました。しかしその史実は、これまでもっぱら、それぞれの地の“郷土史”として扱われ、日本音楽史の立場から、6つの収容所の音楽活動を通観し、横断的に考察するということはいまだ行われていませんでした。今回の論考は、その初めての試みだということが出来ます。

 6つの収容所を比較するだけでなく、著者の目はさらに、当時のドイツ国内や租借地・青島における音楽活動との比較に向けられます。俘虜楽団のプログラムを分析し、演奏曲目には19世紀のドイツ国内における音楽文化との連動性が認められ、管弦楽作品、特にベートーヴェンの交響曲が重要視されたのはその現れだと見ています。

 著者はさらに、俘虜名簿や俘虜職業調を駆使して、各収容所の俘虜楽団の人員構成を分析します。その結果、軍楽隊員や職業音楽家の比重は意外に低く、召集された一般人が趣味として身に着けていた音楽の果たした役割が大きかったことを指摘しています。青島には第三海兵大隊軍楽隊という軍楽隊がいましたが、彼らは戦闘時には衛生兵(赤十字要員)となったため俘虜にはならず、長崎を経て、まだ中立国だったアメリカで解放されている事実は、この論考の発掘した大きな指摘と言えるでしょう。

 23ページに及ぶこの論考で著者の視線は、同じ第一次世界大戦で他の国に収容されたドイツ俘虜の音楽活動にも向けられています。イギリスやロシアの収容所でも、ドイツ兵による小オーケストラがあったことが紹介されているのです。

 巷間、ドイツ俘虜を人道的に遇したといってもそれは松江所長を頂く板東収容所だけで起きた「奇跡」であって、他の収容所は習志野も久留米もひどいものだったのだ、とか、その「奇跡」の証しとして板東では特別にオーケストラが許されていたのであって、習志野にもオーケストラがあったなどというのはウソだろう、という誤った理解をしている人が大勢います。しかし、習志野にも久留米にも立派なオーケストラがあり、さらにはシベリアの劣悪な収容所の中でも彼らの音楽活動は行われていたのです。板東だけで奇跡が起きた、という「神話」はそろそろ終りにして、今回の論考を皮切りに、各収容所の音楽活動が日本音楽史の1ページとして認知され、さらに研究が深められていくことを期待したいと思います。

 

 著者の七條めぐみ博士は愛知県立芸術大学講師。これまでに、名古屋収容所の音楽活動について優れた論文を発表されています。

「名古屋におけるドイツ兵俘虜の音楽活動 :

 1918(大正7)年12月~1919(大正8)年6月の演奏会を中心に」

(ダウンロードはこちらから)

https://ai-arts.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=744&item_no=1&page_id=13&block_id=52

 その名古屋俘虜収容所の跡地は、その後、県立旭丘高校(旧・愛知一中)になっていますが、七條先生はその卒業生だそうです。

旭丘高校には現在、塀沿いに「日独友好の碑」が建てられています。

 ご自分の出身校の歴史が、このように多角的な研究に結びついたというのも素晴らしいことですね。

(以上が星さんの「新刊紹介」文です)

この著書の七條さんの論考のうち習志野ドイツ人俘虜収容所に関する部分をピックアップしてみました。

(「住みたい習志野」の以下の記事もご覧ください)

津田沼高校オーケストラが「閉じておくれ…」など演奏(読売新聞) - 住みたい習志野

6日にプラッツ習志野でおこなわれたコンサートのことが報道されました。津田沼高生の演奏に拍手(読売新聞の記事から抜粋)県立津田沼高校オーケスト...

津田沼高校オーケストラが「閉じておくれ…」など演奏(読売新聞) - 住みたい習志野

 

習志野から消される?ドイツ人捕虜収容所の歴史(菩提樹、聞き書き民話、西郷寅太郎) - 住みたい習志野

テレビで西郷寅太郎(西郷隆盛の息子で習志野ドイツ人俘虜収容所長)の生涯を紹介 - 住みたい習志野

 

 

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市のホームページの「ならしのNOW」に6日のワンコイン・プチコンサートの記事

2022-01-25 15:18:42 | 俘虜収容所

ワンコイン・プチコンサート開催!~プラッツ習志野に響く 新春の音色~

1月6日プラッツ習志野 市民ホールで開かれた新春コンサートについて、習志野市ホームページの「ならしのNOW」に、まちかど特派員の方のレポートが載っています。

ならしのNOW 習志野市 (narashino.lg.jp)

 松飾る初春6日(木曜)、プラッツ習志野 習志野市民ホールにおいて、ワンコイン(500円)で気軽に音楽を楽しめる、「ときめきランチタイムPetit Concert」が行われました。

 「大和(やまと)が歌う!拓(たく)未(み)が歌う!津田沼高校オーケストラ部が奏でる!」というタイトルのままに、同校オーケストラ部(指揮 山岡 健)の演奏と東京芸大生であるテノールの喜久田大和さん、バリトンの木村拓未さんの歌の競演があり、当日は雪が降りしきる中多くの市民が来場し、新春の響きを心から堪能しました。
 プログラムは、カンツォーネ「O sole mio」、昭和歌謡「丘を越えて」、「長崎の鐘」、続いて第一次世界大戦時、習志野俘虜収容所でハンス・ミリエスが作曲し、テオドール・シュトルムが作詞した「閉じておくれ 僕の 眼(まなこ)を」(訳詞 小畠 泰)の演奏が行われました。


津田沼高校オーケストラ部


木村 拓未さん(左)、喜久田 大和さん(右)


「閉じておくれ 僕の眼を」詩の朗読

演奏に先立ち、訳詞者の紹介と企画・進行の戸田 志(ゆき) 香(こ)さんによる「閉じておくれ 僕の眼を」の詩の朗読がありました。演奏の終了後は、指揮者 山岡先生から「習志野の地で誕生したこの名曲を、市の宝物として皆で愛し、世界に広げていきましょう!」との呼び掛けがあり、多くの聴衆が大きな感動の拍手で応えていました。


「エリザベート」のルドルフとトート

 演奏とボーカルの競演は続き、ミュージカル俳優を目指す2人の芸大生が、ミュージカル「エリザベート」より屈指の人気曲「闇が広がる」の登場人物ルドルフとトートを演じ、その迫真の演技は、聴衆の喝采を浴びていました。


アンコール曲「マイウェイ」を熱唱

 コンサートのフィナーレは、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」より「エーデルワイス」の歌唱で45分間のコンサートは終焉となる予定でしたが、場内の感動と熱気は収まらず、アンコ―ルの「マイウェイ」の熱唱が、会場の熱気を最高潮に包みました。
その後、出演者全員がホワイエに出て、観客と言葉を交わしながら見送りました。

 

 「今日の音楽は良かったね。またここに来て音楽を楽しみましょう。」と思ってもらえようにと始めたワンコイン・プチコンサートは、「音楽のまち習志野の輪を広げましょう!」との想いも込められ、今後も開催されます。

今後のワンコイン・プチコンサート開催スケジュール

〇2月14日(月曜)11:30~12:15(開場11:00)ピアノ、チェロ演奏
〇3月11日(金曜)11:30~12:15(開場11:00)ヴァイオリン演奏他

問い合わせ:プラッツ習志野 習志野市民ホール 047-476-3213

【写真・取材】広報まちかど特派員 佐藤 清志さん

(以上、「ならしのNOW」の記事です)

このコンサートについては、このブログにもいくつか記事が載っています。

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