(「ドイツ兵士の見たニッポン」の著者、Hさんからの投稿です)
バウムクーヘンもラジオ体操も習志野発祥???
正月飾りを外そうとしていたら、スマホに知人からメールが入りました。「バウムクーヘンもラジオ体操も習志野のドイツ兵が発祥らしいですね」と。えっ? えっ? えっ? 誰がそんなこと言ってるの?
確かめてみると、火元はこちら
(習志野経済新聞)
習志野で企画展「ロシア兵、ドイツ兵の俘虜収容所」 民間との交流も紹介
習志野市市民プラザ大久保(習志野市大久保4)で現在、「習志野にもあったロシア兵、ドイツ兵の俘虜(ふりょ)収容所」が開催されている。
習志野経済新聞
市民プラザ大久保で1月30日まで開催されている資料展「ロシア兵、ドイツ兵の俘虜収容所」を紹介した記事でした。
(この資料展については、このブログでも
12月のイベントのご案内 - 住みたい習志野
でご紹介済みです)
この新聞記事にはこう書かれています。
主催した大久保商店街協同組合の三橋正文理事長は「バウムクーヘンやラジオ体操など、当時の日本になかったものをドイツやロシアの捕虜が伝えた事実や、民間との交流があったという歴史を、展示を通して新しく習志野で生活を始めた方に知ってもらえれば」と来館を促す。
なるほど、主催者の大久保商店街協同組合・三橋理事長は、バウムクーヘンやラジオ体操などをドイツやロシアの捕虜が伝えた歴史を知ってもらえれば、と語ったというのですが、よく読めば、決して「習志野にいたドイツ兵がバウムクーヘンを伝えた」とは言っていません。そう読めてしまうのも無理ないところですが…。
バウムクーヘンは、広島にあった似ノ島収容所でドイツ人捕虜ユッフハイム(ユーハイム)が作った
バウムクーヘンは、習志野ではなく広島にあった似ノ島収容所に伝えられました。青島で菓子職人をしていた捕虜カール・ユッフハイムが作ったのです。大正8年(1919)3月には、広島県物産陳列館で「俘虜製作品展覧会」が開かれます。似ノ島収容所のドイツ兵が作った模型や絵、楽器などが並べられ、広島の市民が多数来場しました。その中で人々の目を引いたのがユッフハイムのお菓子だったのです。大屋根のドームの下にバウムクーヘンの甘い香りがただよい、もらった子供らは大喜びしたといいます。今日「原爆ドーム」の名で知られるあの建物には、そんな歴史があったのです。
原爆ドーム(広島県物産陳列館) | ストーリー | 広島ピースツーリズム
原爆ドーム(左)と、その元の姿(右:広島県物産陳列館)、ここでバウムクーヘンが披露された

ユッフハイムは解放後もドイツに帰らず、日本で洋菓子店「ユーハイム」を起します。今に至る老舗として愛されていることは言うまでもありません。
ユッフハイムが焼いたバウムクーヘンは、丸い切り株の形ではなくピラミッド型だった
ところで、バウムクーヘンというと、火の上で回転する軸にタネをかけて、年輪を重ねた丸い木の切り株ように焼き上げることが知られています。しかし、収容所でユッフハイムが焼いたバウムクーヘンはそうではなく、四角い金型にタネを塗っては焼き、塗っては焼いて、木目のある材木のように焼いたものでした。なぜそれがわかるかというと、当時はバウムクーヘンと呼ばず「ピラミッドケーキ」と呼ばれていたからです。では、バウムクーヘンのどこがピラミッドなのか? お客さんに出す際、四角い一片のケーキにナイフを入れて、お皿の上に十文字に立てると、バウムクーヘンの縞模様がピラミッドに見えたのです。


両肩をカットして切れ端を前後に立てればピラミッド


やはりバウムクーヘンは、ユッフハイムのようなプロの菓子職人でなければ難しかったか、習志野でバウムクーヘンを作ったという記録は見当たりません。ちなみに、最近は日本でもクリスマスに「シュトレン」というドイツのお菓子を見かけるようになりましたが、シュトレンは習志野でも、クリスマスには盛んに作られています。
(シュトレン)

絵本「バウムクーヘンとヒロシマ」似島ドイツ人捕虜収容所で誕生したお菓子の物語 - 住みたい習志野
読者からの情報:広島市似島ドイツ人俘虜収容所とバウムクーヘン - 住みたい習志野
ラジオ体操は、アメリカの保険会社の宣伝の健康増進体操をヒントに、昭和3年に日本で登場したが、もっと昔、明治時代には軍人の体力向上のための体操があり、「兵式体操」として学校教育にも導入された
ところで、もう一つの「ラジオ体操」についてはどうでしょうか。
日本のラジオ放送は大正14年(1925)に始まります。そしてラジオ体操は昭和3年(1928)に登場したといいます。アメリカのラジオがある生命保険会社の宣伝として、健康増進体操を放送していたのをヒントにしたのだと言われています。
日本生まれじゃない!世界初のラジオ体操を放送したのはアメリカ
(アメリカ、メトロポリタン生命保険会社の健康増進体操教本)


陸軍戸山学校軍楽隊にいた江木理一氏が、毎朝マイクの前に立って号令をかけていました。
そういうわけで、ドイツ捕虜がラジオ体操を伝えたと言ってしまっては間違いです。但し、彼らが習志野に来る前、浅草本願寺に収容されていた頃の写真には次のようなものがあります。

本願寺の境内で朝、みんなで体操しています。
これは引き続き、習志野でも行われたでしょうから、習志野収容所で「ラジオ体操のようなもの」をやっていたということは可能でしょうね。
なお、軍人の体力向上のための体操は、日本でもラジオ放送開始より古くから普及していました。陸軍は明治7年に「体操教範」を定め、陸軍戸山学校に体育科を設置して指導者を育成しています。さらにこれは「兵式体操」と銘打って、明治中期から全国の学校教育にも導入されました。また、「海軍体操」はデンマーク体操をヒントに、堀内豊秋大佐が考案したといわれています。
新聞記事ですから細かいニュアンスは省かれてしまい、バウムクーヘンもラジオ体操も習志野で発祥したかのような表現になってしまいましたが、ていねいに説きほぐせばこういうことになります。催事は1月30日までだそうですから、足を運んでみてはいかがでしょうか。
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