(「ドイツ兵士の見たニッポン」の著者、Hさんが、習志野第九合唱団にまつわるエピソードを話してくれました)
昨年の習志野第九合唱団の動画が見られるようになった
習志野第九合唱団が、昨年の「第九演奏会」から第四楽章の動画をYouTubeにアップしました。
コロナ禍での演奏会、初代習志野文化ホールの貴重な映像、と後世歴史の一コマとなる?
コロナ禍での第九、ということで、合唱団が、首まで垂れた白覆面をつけた、ちょっと異様な演奏会ですが、コロナ禍での演奏会、また初代習志野文化ホールを伝える貴重な映像として、後世歴史の一コマとなるでしょうね。
もっと早くからやって、会場に来ない市民にも親しんでもらえば良かった。ちょっと残念。
もっと早くからこういうことをやって、会場に来ない市民にも親しんでもらうことをやればよかったのに。もう「文化ホールさようなら」という段になっての動画アップはちょっと残念です。
最初はみんな歌詞の意味がわからなかったが、合唱団の共同作業で逐語訳を作ってみたら、歌に魂が吹き込まれた
私が社会教育課で習志野第九演奏会を担当して、問題だと思ったのは、合唱団が歌詞の意味を逐語的には知らなかったこと。
詞の一節、一節とそれぞれの日本語の意味は対訳本か何かを読んで知っているのですが、単語一語、一語の意味を知らない。
Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysiumという節が「喜びよ、美しき神々の火花よ、楽園の乙女よ」という意味だとは知っているのですが、ではFreudeとは何なのか。Elysiumとは何なのかと聞いてもわからない。神々がどれなのかもわからない。カタカナで暗記して、さもさもの顔をして歌ったって、魂が入っているわけがありませんね。
それでは話にならない。誰か、音楽評論家が翻訳した訳詞を鵜呑みにするのではなくて、合唱団で共同作業をやって逐語訳を作ってみてはどうか、出来たらそのまま日本語で歌える訳詞を作れば良い、と話してみました。最初は承服しかねるようでしたが、結局これが皆さんにとってかなりいい勉強になったようで、その成果はこちらにしっかり残っています。
「喜び、輝く神の火花よ/光の国へと我らは進む/この世の力に裂かれた者も/すべての人みな“はらから”となる」
ちゃんと日本語で歌えますね。鳴門の「全日本第九を歌う会」にこのことを知らせたところ、ここまで意識の高い第九合唱団は他にありません、とヨイショしてくれました(笑)
結び
習志野第九合唱団。市民による第九演奏会としては全国でも最古参、習志野が誇る財産ですが、今年の第44回(12月18日(日))で現在の文化ホールでの演奏は終ります。新文化ホールが出来るまでの間、どうなるのでしょうね。
<これが、その日本語訳詞>
当時作られた日本語訳詞です。第九を日本語で歌えるようになりました
「2004年5月8日 第九初演から180年目の夕べに」
友よ聞け、友よ! この音(ね)でなく
より大いなる喜びに溢れて
快い光に満ちたあの歌を!
喜び、輝く
神の火花よ
光の国へと
我らは進む
この世の力に
裂かれた者も
すべての人みな
兄弟(はらから)となる
まことの友だち
いとしい妻を
勝ち得た者らは
集いて歌え
この世に一つの
真心さえも
得られぬ者らは
ここを立ち去れ
あまねく我らをうるおす
自然の恵み
バラ咲く小路を
等しく歩む
ぶどうに口づけ、
まことの友と
導く天使は
神の御前に!
おお、大空高く火は燃えて
あまたの星は飛び交うよ、天空の道
いざゆけ友よ、いざゆけ友よ
勝利に向かい勇士のように
抱き合えもろびと、
口づけ受けよ
天のかなたに
おわすのは我が父
ひれふせ、もろびとよ
求め捜せ、さぁ
星のかなたに
かなたに我が父を
(編集部より)
ならしの洋楽事始(習志野収容所オーケストラに関する講演録)もご参照ください。
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