降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★五木寛之さんは追悼手記を書いた。

2015年12月12日 | 新聞

野坂昭如さんが亡くなった。享年85。
12月11日付朝刊では、五木寛之(83)さんが朝日に寄稿、産経に談話を掲載していた。
野坂さんと五木さん——。
同じ放送作家出身で、小説デビューは野坂さんの方が早いが(直木賞は五木さんが先)、ほぼ文壇同期であり、1960~80年代をともに駆け抜けた表現者同士だったからか、かなりのショックを受けたように感じた。
五木さん=1966年下期第56回直木賞受賞
野坂さん=1967年下期第58回直木賞受賞

12月12日付の日刊ゲンダイ、五木さんの連載「流されゆく日々」は急きょ内容を変更
「野坂昭如ノーリターン①」(写真
として追悼手記に切り替わっていた。
……これ、かなり珍しい。
去る9月の日刊ゲンダイ創刊編集長・川鍋孝文氏(日刊現代会長)死去のときにも当時のことに言及されていたが、
五木さんは近しい人のことには、あまり書かなかったから……。


( 「流されゆく日々」連載9823回から )
野坂さんと私は、ほぼ同じ時期に直木賞をもらった昭和ヒトケタ世代の物書きである。
当時、中間小説誌といわれた雑誌が活気があった60年代の事である。
「オール読物」「小説新潮」、そして「小説現代」などが野坂氏や私たちの仕事の場だったから、自然と同じエコールに合流することになる。
同じ放送作家だったキャリアもあり、野坂昭如、井上ひさし、そして私などはどこかに同窓生意識みたいなものがあったような気がする。



野坂さんと五木さんの〝共著〟があった。
講談社文庫にも収録された『対論』(『話の特集』対談をまとめたもの。単行本は1971年刊)。文庫版ブックデザインは、石岡瑛子さんではなかったかしらん。

( 再び「流されゆく日々」から )
適当にパッとページを開いてみる。ホモ的な感覚についてあれこれ喋っている。稲垣足穂とキスをしたという話から、一転して、こんな話になる。
( 中略 )
野坂「とにかく小説家で割に話をするのは五木、生島以外にはいないからね」
生島=作家・生島治郎氏。1933年~2003年。『追いつめる』で1967年上期第57回直木賞受賞。
野坂「五木とぼくが信玄と謙信みたいになっちゃって、相争う友情みたいなものがあるでしょ。例えば訃報を聞いて箸をハッタと落として、『やあよき友、宿敵を失った』という感情があると思うな(笑)」


「やあよき友、宿敵を失った」——。
きっと五木さんは野坂さんの訃報を聞いて、この心境だったのだろう。
来週14日(月)発売の日刊ゲンダイを、早く読みたい。