絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

デロス同盟とペロポネソス同盟(2)

2018-01-05 | 読書
ギリシア人の物語のペリクレスのところを読んでいます。
そこで、このデロス同盟とペロポネソス同盟の話が出てきて、このことについては初めて詳しく知ることになりました。

簡単に区分けすると、デロス同盟がアテネを中心、ペロポネソス同盟はスパルタを中心ということです。

アテネが海軍、スパルタは陸軍。

スパルタは、何かが起こらない限り、動きませんから、普段は何もない。従って、お金もかからない。
アテネは海軍で、エーゲ海全体を守ることが必要なので、お金がかかるから同盟国からお金を徴収する。
大きなポリスは、出せる所は船も出す。船の出せないところは、お金だけを出す。
そのため、始めはデロス島で会議を開いて決めたので、そのお金はデロス島にあったが、船を作ったり、
船乗りを雇ったりは、アテネがやったので、そのお金をアテネに移した。

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デロス同盟に入っているポリスが、ペロポネソス同盟のことを知ると、その方がいいなあという所が出てきて、
アテネにお金を渡すことに、不満を感じ始める。それで、アテネに反旗を翻そうとするポリスが現れたりする。

そのようなポリスはスパルタにすり寄るが、ペリクレスは、それに対してうまく対処した。
どうも、ペリクレスはスパルタの王との関係が非常に良かったらしい。

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余談だが、ペリクレスの家には、ソクラテスが遊びに来ていたらしい。
ペリクレスよりソクラテスは、26才若い。

ペリクレスの最初の妻の子供が早く死んでしまったので、二人目の妻の子供に期待したが、
二人目の妻は外国人だったため、アテネの市民権がない。特例で市民権を認めてもらったという。
しかし、その子供は、父ほどの力はなかった。
アテネの市民権は、両親がアテネ市民でないといけなかった。

二人目の妻は哲学好きで、ソクラテスは若い弟子を連れて、ペリクレスよりも奥さんと話すために来ていたらしい。

二人目の妻は、ペリクレスの死後29年生きたが、亡くなる二年前にアテネはスパルタに敗北した。

ペリクレスは、パルテノン神殿を作る命令を下した人で、その部下にフェイディアスがいた。
美術史との関連は、ここが重要。

ーーー
もっと余談だが、私はソクラテスとプラトンとアリストテレスは、それぞれ40才づつ離れているとザっとそのように掴んでいる。

アリストテレスは、アレクサンダー大王の家庭教師をしたと覚えているので、今回ペリクレスとソクラテスの関係が分かって、
アレクサンダーとペリクレスの時代がどのくらい離れているかを掴めた。


コメント
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