Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「未成年」 ドストエフスキー著(工藤精一郎訳)新潮社

2005-02-11 | 柴田元幸
「未成年」 ドストエフスキー著(工藤精一郎訳)新潮社を読みました。
主人公のアルカージイは地主ヴェルシーロワの子どもですが、法律上はヴェルシーロワの召使ドルゴルーキーと母の間の嫡子。
そのためアルカージイは出生に対するコンプレックスと、父ヴェルシーロワへの強い敬慕の念を抱きながら生きています。
ストーリー自体は遺産相続に関する争議を中心に、
アルカージイの父に対する想いと理解をしていく過程、
父ヴェルシーロワと主人公が同じ女性アフマーコワを愛する恋愛などが描かれています。
そのほかにも妹リーザの妊娠などいろいろと脇筋あり。

未成年ゆえに、そして彼のもともとの性向ゆえに「極端すぎる」きらいのある主人公。
10か0か、強い「恥と誇り」の念を持ち、それ故に他人に辛くあたった後でそれをまた悔やみ、
自身に言い訳したり自己嫌悪したり。
女性全般を軽蔑する一方、特定の女性は女神のように崇拝してみたり、
およそ現実離れした理想を持ち、現実とのギャップにつまずく生きづらさ。
自分も未青年の時はこういう面が多くあったなぁ・・・。
とりあえず「青春のきらめき」という話ではありません。未成年の恥ずかしさがいっぱい。

終盤近く、ヴェルシーロワがアフマーコワに告白する場面、ドストエフスキーの
作品は『カラマーゾフの兄弟』や『白痴』にも見られますが、愛しすぎて殺したいほど憎いという
恋愛の形が多いと思います。
恋愛はふわふわと楽しいだけではない、これこそ究極の恋愛の形?

この物語は「アルカージイの手記」という形をとっているため、一人称の小説です。
単なる物事の事実経過というだけでなく、アルカージイ自身の視点と感情、後から見た解釈などがきれぎれに語られているのです。
そのため、読者である自分がアルカージイの経験をしているような不思議な感覚になります。
「自分にいい解釈をしてあの時はああ思ったけど、実際は全然違ったんだなあ」という恥ずかしい経験は誰もが覚えがあると思いますが、そういう感覚。
読後、「世界は一様ではなく、それぞれの人の解釈の数だけ世界があるのだ」と改めて感じました。
「自意識過剰」から離れて、そのことを腹で理解していくのが未成年の時代なのかな。