昨日は岡山より帰り、その後、岡崎の生理学研究所より研究室にお客様。
Neuroscience系の論文のこと、認知神経リハビリテーションのこと、今後の課題などについてお話しする。
久々に研究者モードが喚起する。
最近、実験を組み立てる時間がなく、少々、やけくそモードになっていたが、少しは冷静さを取り戻す。
自分がいったい何をしたいのかと、何をしなければならないかの、少なからずとも自分自身のなかで葛藤が生じる。
さまざまな環境に応じて、その振る舞いをしないといけないが、神経科学の領域の科学者がリハビリテーションについて言及しはじめた以上、そこに階層性を作ってはならない。
実力が求められる。
そろそろ、越境モードで、かつ研究をしよう(したい)と思う。
「頭」でっかちにならないように。
久しぶりに「僕らの音楽」で氷室京介をみた。
ロスで暮らすことで、何かわからないが、越境していた。
「環境」を変える。
「みかた」が変わるのであろう。
自らが「井の中の蛙」にならないように、もう少し視野を広げようかな。
Neuroscience系の論文のこと、認知神経リハビリテーションのこと、今後の課題などについてお話しする。
久々に研究者モードが喚起する。
最近、実験を組み立てる時間がなく、少々、やけくそモードになっていたが、少しは冷静さを取り戻す。
自分がいったい何をしたいのかと、何をしなければならないかの、少なからずとも自分自身のなかで葛藤が生じる。
さまざまな環境に応じて、その振る舞いをしないといけないが、神経科学の領域の科学者がリハビリテーションについて言及しはじめた以上、そこに階層性を作ってはならない。
実力が求められる。
そろそろ、越境モードで、かつ研究をしよう(したい)と思う。
「頭」でっかちにならないように。
久しぶりに「僕らの音楽」で氷室京介をみた。
ロスで暮らすことで、何かわからないが、越境していた。
「環境」を変える。
「みかた」が変わるのであろう。
自らが「井の中の蛙」にならないように、もう少し視野を広げようかな。
一昨日は、見学実習のコーディネート後、実習総括などの会議3時間・・・
その後、疲労感が残りながら、電車で京橋まで、村田病院の富永先生をはじめスタッフ、摂南総合病院の川見先生をはじめスタッフと懇親。
「脳血管障害」の病態について議論に花が咲く。
新たな「大阪認知運動療法研究会」へとUp dateしそうな勢いだ。
よい意見交換が今後もできればと思う。
ただし、安易に現象学に行くべきでないと思う。
科学という面、それを常に求め続けるということ、最近くどいようだが、解離が生じているように感じる。この前の学会の分科会では、経験の言語を求めたが、それはヒューマニティを求めたのではない。科学における共通言語を用いて、説明する。これを忘れてはならない。それが学会である。「一人称記述」を引き出す始点においても忘れてはならないし、学会の演者は、自らの感動物語を語るところでない。メタをきかせて語る。徹底的に科学で論破する人間が現れてもいいのに・・・その限界に来たとき、はじめて現象学に意味を持つ。
いや、現象学から始めてもいいかもしれないが,そこには徹底的な自己言及を重ね,自らに対して批判的吟味を重ね続けることが求められるように思う。それがなくなれば,ただの思想であり,一人よがりの概念世界である。概念世界は三人称な私にあらわれるが、一人称な私にはあらわれてはならないような気がする。三人称な概念世界に、科学の共有があるように思う。そしてそれは、近い将来批判されるかもしれない。守りに入ってはならぬ。
結局、近鉄には乗れず、しかし、タクシーで帰る時間でなく、JRの最終で王寺まで。眠り続ける。
明けて、翌日(金曜)は、4回生の臨時ゼミを行い、今後の計画を立てる。
さらに細分化し、
1.motor learning
2.brain function
3.attention and memory or balance function
の3つに20名を分ける。
9月にはデータ採取完了してください。
その後、朝日リハの夜間部の夏休み前の最終授業。
ディベートを自主性に任せ行うが、時間配分、展開などに学生自身が悩む。
これに対して、いろんな学生自身の感情が沸き立ったと思うが、思い通りにならないという感覚が生起するほうが、いい。
だが、難しい。
久しぶりに「教育」に悩んでいる。
9時過ぎに終え、酒井先生、石田先生と懇親。
いろんな問題提起を行う。
夜間は、昼休みなど、長い共有する時間がなく、関係性が希薄だ。
これはどの学校にも言えることだと思うが、そうした一見「意味」のない時間が、ほんとうは人間性を形成する上で意味を持つ。
つまり、これも「間」ということだ。
そこに自己意識が発生する。
「リカレント」な経済優先な教育、その行く末は「資格」取得への志向性のみ生まれる危険性がはらんでいる。
学年進行とともに、みんなの成長を祈る。
明けて、新幹線でいつものように奈良へ。
大学に戻りました。
「原稿」or「試験採点」揺れ動きますが・・・夏ですね。
その後、疲労感が残りながら、電車で京橋まで、村田病院の富永先生をはじめスタッフ、摂南総合病院の川見先生をはじめスタッフと懇親。
「脳血管障害」の病態について議論に花が咲く。
新たな「大阪認知運動療法研究会」へとUp dateしそうな勢いだ。
よい意見交換が今後もできればと思う。
ただし、安易に現象学に行くべきでないと思う。
科学という面、それを常に求め続けるということ、最近くどいようだが、解離が生じているように感じる。この前の学会の分科会では、経験の言語を求めたが、それはヒューマニティを求めたのではない。科学における共通言語を用いて、説明する。これを忘れてはならない。それが学会である。「一人称記述」を引き出す始点においても忘れてはならないし、学会の演者は、自らの感動物語を語るところでない。メタをきかせて語る。徹底的に科学で論破する人間が現れてもいいのに・・・その限界に来たとき、はじめて現象学に意味を持つ。
いや、現象学から始めてもいいかもしれないが,そこには徹底的な自己言及を重ね,自らに対して批判的吟味を重ね続けることが求められるように思う。それがなくなれば,ただの思想であり,一人よがりの概念世界である。概念世界は三人称な私にあらわれるが、一人称な私にはあらわれてはならないような気がする。三人称な概念世界に、科学の共有があるように思う。そしてそれは、近い将来批判されるかもしれない。守りに入ってはならぬ。
結局、近鉄には乗れず、しかし、タクシーで帰る時間でなく、JRの最終で王寺まで。眠り続ける。
明けて、翌日(金曜)は、4回生の臨時ゼミを行い、今後の計画を立てる。
さらに細分化し、
1.motor learning
2.brain function
3.attention and memory or balance function
の3つに20名を分ける。
9月にはデータ採取完了してください。
その後、朝日リハの夜間部の夏休み前の最終授業。
ディベートを自主性に任せ行うが、時間配分、展開などに学生自身が悩む。
これに対して、いろんな学生自身の感情が沸き立ったと思うが、思い通りにならないという感覚が生起するほうが、いい。
だが、難しい。
久しぶりに「教育」に悩んでいる。
9時過ぎに終え、酒井先生、石田先生と懇親。
いろんな問題提起を行う。
夜間は、昼休みなど、長い共有する時間がなく、関係性が希薄だ。
これはどの学校にも言えることだと思うが、そうした一見「意味」のない時間が、ほんとうは人間性を形成する上で意味を持つ。
つまり、これも「間」ということだ。
そこに自己意識が発生する。
「リカレント」な経済優先な教育、その行く末は「資格」取得への志向性のみ生まれる危険性がはらんでいる。
学年進行とともに、みんなの成長を祈る。
明けて、新幹線でいつものように奈良へ。
大学に戻りました。
「原稿」or「試験採点」揺れ動きますが・・・夏ですね。
認識(認知に基づく知識)の欠如.
マニュアル世界がもたらす「常識」の欠如.
最近起こった事故もそうである.
人間が機械にならないこと,それを祈るのみ.
マニュアル世界がもたらす「常識」の欠如.
最近起こった事故もそうである.
人間が機械にならないこと,それを祈るのみ.
今日は耳成南小学校の先生方の前で講演をする.
「心の理論」「ワーキングメモリ」「クオリア」について脳科学,あるいは発達心理学の視点から述べる.
小学校低学年と高学年に対する関わりかた,課題の違いについて少し提言する.
我ながら,いい理論だと思った.
突然,創発してきた.
準備してたわけでない.
しかし,綿時,私の脳にはその引き出しがあったのだろう.
先生方の「表情」を認知し,進行したが,実際その表情に助けられた.
本ブログもみてくださっている先生に遭遇.
ありがたいことです.
うちの「教育学部」もよろしくお願いします.
また,いろんな現場のエピソードをお聞かせください.
その後,校長先生,教頭先生,そして発達障害について教諭の方とお話しする.
また,内部観測論までお話しできませんでしたので,いつか機会があれば.
大学に帰り,学生の症例報告を聞く.
すべて「脳血管障害」であり,後期には少し講義を手伝ってもらおうと思う.
いい「経験」ができてます.
最近,大学教官が簡単な世界に流れすぎだと思う.
「産学連携」などもいいが,あるいは「実験」に明け暮れるのもいいが,自らの「理論」あっての「貢献」であるし,「研究」である.
それがないやつは,「研究」のなかから「理論」を構築し,それを次の世代に渡すべきである.
それが科学なのである.
あたりまえのことであるが,それに気づいていないものも存在する.
科学は反証されることに意味がある.
ウイリアムス・ジェームズの評価をみてみなさい.
評価されたり,批判されたり,所詮,主観に生きている生物であれば,批判されるために科学があるのではないか.
「理論」の築く.
そんな本気な,昔がたきな大学教官にあいたいものだ.
ケンブリッジにしろ,ハーバードにしろ,HPを見ている限り,きちんとした「信念」と「理論」がある.
<私>というもの,ここにもヒントが隠されていると思う.
それに会いに,「ロンドン大学」「シカコ大学」「パルマ大学」「カリフォルニア工科大学」「カロリンスカ研究所」などに行ってみたい.
もう一度言う.
「リハビリテーション」の世界にしろ,「教育」の世界にしろ,実践科学であることは間違いないが,簡単な方向に言ってはならぬ.
自分が生きている時代でなく,その後にどう引き継ぐかも考え,「研究」を続けるべきである.
それが「社会」であり,それを引き受ける<大人>な世界である.
しかし,いやな「世界」が横行している.
私自身<社会>として引き受けるべきか,再度自分探しにUP DATEな旅に出かけるべきか・・・・私の心もわからない.それは誰にもわからないし,闇であるが,突然はれるか,嵐になるか・・・
「心の理論」「ワーキングメモリ」「クオリア」について脳科学,あるいは発達心理学の視点から述べる.
小学校低学年と高学年に対する関わりかた,課題の違いについて少し提言する.
我ながら,いい理論だと思った.
突然,創発してきた.
準備してたわけでない.
しかし,綿時,私の脳にはその引き出しがあったのだろう.
先生方の「表情」を認知し,進行したが,実際その表情に助けられた.
本ブログもみてくださっている先生に遭遇.
ありがたいことです.
うちの「教育学部」もよろしくお願いします.
また,いろんな現場のエピソードをお聞かせください.
その後,校長先生,教頭先生,そして発達障害について教諭の方とお話しする.
また,内部観測論までお話しできませんでしたので,いつか機会があれば.
大学に帰り,学生の症例報告を聞く.
すべて「脳血管障害」であり,後期には少し講義を手伝ってもらおうと思う.
いい「経験」ができてます.
最近,大学教官が簡単な世界に流れすぎだと思う.
「産学連携」などもいいが,あるいは「実験」に明け暮れるのもいいが,自らの「理論」あっての「貢献」であるし,「研究」である.
それがないやつは,「研究」のなかから「理論」を構築し,それを次の世代に渡すべきである.
それが科学なのである.
あたりまえのことであるが,それに気づいていないものも存在する.
科学は反証されることに意味がある.
ウイリアムス・ジェームズの評価をみてみなさい.
評価されたり,批判されたり,所詮,主観に生きている生物であれば,批判されるために科学があるのではないか.
「理論」の築く.
そんな本気な,昔がたきな大学教官にあいたいものだ.
ケンブリッジにしろ,ハーバードにしろ,HPを見ている限り,きちんとした「信念」と「理論」がある.
<私>というもの,ここにもヒントが隠されていると思う.
それに会いに,「ロンドン大学」「シカコ大学」「パルマ大学」「カリフォルニア工科大学」「カロリンスカ研究所」などに行ってみたい.
もう一度言う.
「リハビリテーション」の世界にしろ,「教育」の世界にしろ,実践科学であることは間違いないが,簡単な方向に言ってはならぬ.
自分が生きている時代でなく,その後にどう引き継ぐかも考え,「研究」を続けるべきである.
それが「社会」であり,それを引き受ける<大人>な世界である.
しかし,いやな「世界」が横行している.
私自身<社会>として引き受けるべきか,再度自分探しにUP DATEな旅に出かけるべきか・・・・私の心もわからない.それは誰にもわからないし,闇であるが,突然はれるか,嵐になるか・・・
8月4日(金)10時より、実習後、最初のゼミを行います。
各自、進捗状況、これからの実験(調査)計画を説明できるようにしてきてください。
実習終了の情緒に浸るのは、もう終了!
「ワーキングメモリ」「創造性」をフル活動するように!
大学という場所は、常に「能動性」が求められるのです。
「教えてもらおう」なんて、これっぽちも考えないように。
それが大学(研究・教育機関)です。
各自、進捗状況、これからの実験(調査)計画を説明できるようにしてきてください。
実習終了の情緒に浸るのは、もう終了!
「ワーキングメモリ」「創造性」をフル活動するように!
大学という場所は、常に「能動性」が求められるのです。
「教えてもらおう」なんて、これっぽちも考えないように。
それが大学(研究・教育機関)です。
今日はAM前半、急いで明日の講演資料を作成し、耳成南小の教頭先生まで送信。
明日は「心を生み出す脳と身体」などについてお話する予定。
しばらく、最新の論文を読んでなく、心の生成に関する解釈が変わらない自分がいる。
冬木学園60周年記念行事のための準備として、養老先生のご本がアマゾンより3万円分届く(もちろん自腹です、基本的に本は自分の金で毎月まとめ買う)。読む時間はきわめて少ないが帰省したときに、少し走り読みしよう。しかし、著作が200本ぐらいあった。恐るべし数である。実は恥ずかしながら、はじめて「バカの壁」を手にした。理由はいろいろありましたが。
AM後半、生理学実習の試験監督に。
「無」になる。
しかし、廊下を通る「他学科(おそらくそうと思うが、1回生は皆目見当がつかない、大学とはそのようなもの)」学生による聴覚的刺激に注意がとられる。
試験というのに・・・いやな不快な「感情」が沸き立つ。
「島」は賦活しているだろうか・・・
「神経生理学」というものが、リハの学生のカリキュラムの必須になればいいのにと思う。
「運動生理学」「筋生理学」も大事だが・・・・・
PM、学生とほんの少し面談をした後、猛スピードで原著論文を仕上げる。
史上最速原著になったが、「実」がない。
書き下ろしだが、焼き直しである。
微妙な論文だ。
最終的には、他のデータも加えて、2つの認知経路に落ち着く予定。
そうすれば、Neuro系の国際雑誌にと考えている。
今、少し時間を作り、このブログに。
そういや、畿央大学着任1年目のときは、われを忘れて、身体酷使しまくり原稿を書きまくった。
しかし、それよりも、最近は最新欧文献に触れることができないことが痛い。
PubMedが新しいバージョンになっていたことを今日知った。
情けない限りである。
あと、月末まで4本! 原稿用紙の総枚数は175になる。がんばります。
というしかない。
明日は「心を生み出す脳と身体」などについてお話する予定。
しばらく、最新の論文を読んでなく、心の生成に関する解釈が変わらない自分がいる。
冬木学園60周年記念行事のための準備として、養老先生のご本がアマゾンより3万円分届く(もちろん自腹です、基本的に本は自分の金で毎月まとめ買う)。読む時間はきわめて少ないが帰省したときに、少し走り読みしよう。しかし、著作が200本ぐらいあった。恐るべし数である。実は恥ずかしながら、はじめて「バカの壁」を手にした。理由はいろいろありましたが。
AM後半、生理学実習の試験監督に。
「無」になる。
しかし、廊下を通る「他学科(おそらくそうと思うが、1回生は皆目見当がつかない、大学とはそのようなもの)」学生による聴覚的刺激に注意がとられる。
試験というのに・・・いやな不快な「感情」が沸き立つ。
「島」は賦活しているだろうか・・・
「神経生理学」というものが、リハの学生のカリキュラムの必須になればいいのにと思う。
「運動生理学」「筋生理学」も大事だが・・・・・
PM、学生とほんの少し面談をした後、猛スピードで原著論文を仕上げる。
史上最速原著になったが、「実」がない。
書き下ろしだが、焼き直しである。
微妙な論文だ。
最終的には、他のデータも加えて、2つの認知経路に落ち着く予定。
そうすれば、Neuro系の国際雑誌にと考えている。
今、少し時間を作り、このブログに。
そういや、畿央大学着任1年目のときは、われを忘れて、身体酷使しまくり原稿を書きまくった。
しかし、それよりも、最近は最新欧文献に触れることができないことが痛い。
PubMedが新しいバージョンになっていたことを今日知った。
情けない限りである。
あと、月末まで4本! 原稿用紙の総枚数は175になる。がんばります。
というしかない。