森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

思考の羅針盤

2009年11月13日 16時36分20秒 | 過去ログ
秋風から冬風に変わりつつある.
枯れ葉舞う大学前の高塚地区公園.
一気に木枯らし舞う冬支度となろう.









12月になれば,帰省できる.
それを目標に,すべての今ある仕事をフィニッシュさせなければならない.
欧州人が夏の3週間のバカンスのために仕事をしているように,
自分も正月のために仕事をしている感がある.
そう思わないと,週末の講演をやってられない.

昨日,嵐の番組に広末涼子が出ていた.
「とっても4乗,高知好き」「とっても4乗,よさこい好き」と出ていた.
高知県人は郷土愛が強すぎる.
かくゆう,私もそうだし.
最近では作家「山本一力」もそうだ.


昨日は,卒論の添削指導をしたのち,AM,教育学部のコミュニケーション心理学.
非言語的コミュニケーションの根幹である「情動」の伝達について,
表情認知に関することを話した.
Mr.Brainの一場面を流した.
記憶障害があっても表情認知は保たれるという相武さきと亀梨くんの場面を利用した.

PMは理学療法学科の人間発達学.
昨日から,道徳心と人格の発達に少し入った.
情動の発達に少し時間がとられ,少しであるが.
新生児の世界との対話は「快」「不快」であるが,
乳幼児の世界との対話は「基本的情動」である.
「嫌悪」「恐怖」「驚き」「悲しみ」「怒り」「幸福」の.
嫌悪感から人格が発達するモデルを少し話した.

それが学童期に入ると,高度な感情を用いて対話を試みる.
それには,認知プロセスが関与する.
複雑な感情の形成には自らの経験が必要だ.
恥だとか,尊厳だとかは,大きく文化,思想に影響を受ける.
それにより,自らの価値判断を導き出す.
高度な感情とは価値観でもある.
大脳皮質(とりわけ前頭葉)と大脳辺縁系の荘大なネットワークにより生まれる.
感情とは環境によって育てられるものである.
その根源となる感覚が触覚経験である事実が基礎,臨床の両面から明らかになっている.

その後,院生の研究をみて,学科会議に参加し,
そのあと,残った1名の院生の中間発表会に出て,叱咤激励した.
よい研究を模倣することからスタートさせてください.
まずは模倣学習です.
「よい研究」というのがみそです.


その後,院生らの研究に手を加えた.


今日は,本来なら朝日リハの講義であるが,
大学に来て,研究費の管理を行い,
その後,NHKのエグゼクティブディレクターがこられ,
加齢,高齢者,姿勢バランス,認知機能,ワーキングメモリ,dual task,運動器疾患,脳機能,前頭葉,小脳,学習,痛み,等をキーワードに2時半半ほど情報を提供・交換した.

運動器を脳から捉える時代に来ているが,
その先駆的研究者が以外といないことに気づいた.

NHKに寄せられる読者の思いは切実であり,
今まで通りの出力一辺倒の運動をしても,
バランスや痛みは何ら解決できていない,
という思いに,どれだけ医療者は答えられるか.
そこがディレクターからの要望でもあった.

そのヒントは提供できたと思う.

運動器の10年が2010年で終了する.
しかし,運動器疾患のニーズは10年前とほとんど変わっていない.
科学は進歩しているのに医療は足踏みしているともいえる.

神経と運動器を融合,
いや,そもそもは脳と身体は一つとして考えなければならないことから,
それらの両面を知識として持ち得なければ,
これからの運動器に対する介入は展開できないかもしれない.
整形外科に任せても,神経科に任せても難しい.
分化しすぎてしまった.
整形外科にとって「脳」は遠すぎる.
リハビリテーションも結局,その教育がされている以上,
運動器リハビリテーションにとって「脳」は遠すぎる.

「人間」をみるといいながら,筋骨格系の「人形」診ている医学を教えているから.
「心」と「身体」その理解をさせるような教育は本当に可能なのか?
最近は自分が生きている間に展開されているか半信半疑になってきた.

理学療法や作業療法の教育は,3年やそこらでできるはずがないし,
今の偏差値においける「マニュアル」教育でも難しい.
ましてや,人間性からたたきなおさないといけない「前頭葉」が未熟な「学生」が増えてきたのも経験則でしかないが事実である.

「教育」は「羅針盤」を失いつつあるのではないか?
それは,国家試験の羅針盤でなく,
思考の循環の羅針盤である.

そう嘆いてもはじまらない.
とにかく地道にしゃべっていくしかない.