隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

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お城のお守りCastle's Talisman(guardian)改訂

2012-01-16 16:27:14 | Weblog
西側より見た犬山城
お城のお守りCastle's Talisman(guardian) 平成壬辰廿四年睦月十六日

 ①何と言っても、鯱でしょう。Killer Whaleというだけに、海の中では海獣なんですね。
頭が虎で胴体が魚となってます。漢字そのままですね。想像上の生物であり、実際の生物である「シャチ」とは別物である。それを模した装飾物が鯱鉾であり、鬼瓦などと同様その建物を守護する役割を持っている。屋根の上に取り付けられ守ってくれている。
なぜ屋根の上に載っているのだろう。
基本的には城は火災に弱いことから、海で最強の動物であり、水と深い関わりがあるシャチを屋根に載っけたのであろうと言われてます。それもそうなんですが、シャチはクジラと同じく海水を吹き上げます。そのことからお城を火災から守るシンボルにしたのではないかと思います。あくまで、想像上生物とことわっておかねばならない。胴体が魚で鱗があって潮を吹いてもらわねばならない鯱なんです。
 屋根から下が海で、シャチが自由に動き回って火災から守ってくれるよう、昔の城を造った侍が願ったものでしょう。理由は分かりませんが、南北に向かい合って載せられております。
全国のお城は鯱が載っかっています。特別なのは、名古屋城の金の鯱と沖縄の首里城の龍ですね。
仲間のKo君が鴟尾(しび)というのがあると教えてくれた。早速NETで調べたら、Wikipediaにありました。 唐招提寺 東大寺大仏殿(金色の部分が鴟尾)                             
 鴟尾(しび)とは、瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種である。訓読みではとびのおと読む。沓(くつ)に似ていることから沓形(くつがた)とも呼ばれる。
寺院・仏殿などによく用いられる。後漢以降、中国では大棟の両端を強く反り上げる建築様式が見られ、これが中国などの大陸で変化して3世紀から5世紀頃に鴟尾となったと考えられている。唐時代末には鴟尾は魚の形、鯱(海に住み、よく雨を降らすインドの空想の魚)の形等へと変化していった。瓦の伝来に伴い、飛鳥時代に大陸から日本へ伝えられたと見られている。火除けのまじないにしたといわれ
ている。材質は瓦、石、青銅など。唐招提寺金堂の鴟尾や東大寺大仏殿の鴟尾が代表的ですね。
これらは、奈良時代に瓦の伝来とともに造られたのである。記述のように唐時代末期は、遣唐使廃止前、中国では仏閣の火災から鯱の形へと変化したのでしょう。日本でも平家物語には「清水寺、三井寺、興福寺、東大寺の炎上」が描かれておりますから、当然、戦国時代の1500年代では、お城は重要な要塞であったことから、鴟尾は魚の形、鯱の形へ変化し、火災に対しての恐れから鯱に願いを込めたという事でしょう。

天守 破風 付櫓
②懸魚(げぎょ)も立派なお守りである。
懸魚というのは、主に木造の神社仏閣の屋根に見られる妻飾りで、棟木の切り口を隠すと共に、火除けのまじないとしての意味合いを持つ飾り板。木造で、火に弱い城にも大抵この懸魚がつけられている。「佐々木孝雄のホームページ」より 『火に弱い木造の神社や寺院を火災から守るために火伏せの呪(まじない)として取り付けたのが始まりと考えられています。懸魚は、水と縁の深い魚の身替わりです。その懸魚を屋根にかけることで、「水をかける」という意味にも通じます。懸魚は、屋根の破風板に取り付けた妻飾りです。近くの神社や寺院を訪ねて屋根の鬼瓦がある辺りを見ると破風板に吊り下げてあります。 建物が切妻屋根か入母屋造りの屋根であれば必ず付いています。』
犬山城には、天守と唐破風と付櫓の切妻屋根に写真のようなデザインの懸魚が取り付けられていますが、犬山城独特ではないみたいです。
先日、TVで「イノシシの目」という懸魚をやっていた。
神社に多いというが、付櫓のは「ハート型」ではなく、単なる○でしょうね。   調べると、「イノシシの目」は懸魚(げぎょ)と呼ばれる妻飾りで、もともとは、火伏せのまじないだったらしい。ハート型は2つ合わせて猪目(いのめ)と呼ばれ、典型的な懸魚の模様だそうだ。
日本だけではなく、韓国の懸魚にもハート型があるらしい。日本にも昔からある模様で、しかもいのししの目と呼ばれていた。
桃の瓦
③桃の瓦は犬山城独自のお守りですね。(独自ではありませんでした1/22記す)              中国では古くから、“桃の木には体の中の悪いものを取り除く力がある”と考えられていました。三国志では、桃園の誓いがありましたね。昔、中国の崑崙(こんろん)山に西王母という仙人が住んでいて、不老不死の仙桃を食べて、3000年もの長寿を保っていたという。その西王母が唐子に不老長寿の桃の実を取に行かせる場面が、祭りの<からくり>の車山で演じられていますね。鉄棒の大車輪のような離れ業が見所で「綾渡り」と呼ばれている。     
 日本では、日本原初の神として知られる伊邪那岐命(イザナギノミコト)は、黄泉(よみ)の国の黄泉比良坂(よもつひらさか)で悪鬼たちの襲撃に遭った時、3つの桃を投げて難を逃れています。桃の種は漢方では「桃仁(とうにん)」と呼ばれ浄血剤となり、桃の葉汗疹の薬となり現代でも広く使われています。「桃」は病気を払う植物だったので邪気も払うと信じられました。
 お城では、桃は3階破風の間の屋根の端4か所に供えられている。悪魔は桃を嫌うので、悪魔から城を守ると信じられていた。付櫓の屋根に2ケ所にもある。犬山城ならではのお守りだと思います。話がお城から離れますが、桃太郎が「桃」から生まれ、犬・サル・キジの三匹をお供につけて、鬼ヶ島へ鬼退治に行く話は、日本人なら誰でも知っていて、カナダの日系カナダ人も知っている話で、犬山には桃太郎神社まである。
お読み下され、感謝致します。

P.S. 今日(1/22),犬山城通訳ボランティアで待機していましたら、成瀬白帝文庫理事長さんが見え、久しぶりにお会いしました。お城のお守りについてお聞きしましたところ、桃の瓦は京都のお寺にもある。犬山独特ではないとのご返事でした。流石、理事長さんでしたね。
そこで更に調べましたら、岡山城に何と「金の桃」が乗っかっているではありませんか。岡山は「きびだんご」ですから桃太郎にも関係してますね。(「旦さまと私」ブログより)
大阪城の櫓などにもあるという。桃の瓦は留蓋【とめぶた】という飾瓦で、 実用上は雨漏りを防ぐための半球形の瓦でよいが、その上に各種の飾りが付いているものが多いという。
お守りには違い御座いませんので、よろしく。